人間も五十近くまで生きれば、やりたいことは大概やつてしまふものである。昔と違つて、そこで隠居する訳には行かないのは余り嬉しいことではないが、それでも若い頃のもやもやは仕事の上ではつきりした形を取り、人間が一生のうちに身に付けられる知識に限度があることも解り、自分がどういふ人間であるかといふことも、既に努力したり、工夫したりすることではなくなつて、或は少くともそれでまた変化が期待出来る範囲が狭められて、兎に角、もう若いことで苦められるといふことはなくなる。人間が本当に人間らしくなるのは、それからではないだらうか。その時から、人生の長い黄昏が始り、一日の終りに来る黄昏と同様に、日が暮れるのを待ち遠しく思ふのとは反対に、辺りのものが絶えず流れ去つて行くのを止める。といふ風なことを、この頃は考へてゐる。吉田健一「鬢糸」(「わが人生処方」(中公文庫)所収)より