百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より
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2020年10月2日金曜日

「十月大歌舞伎」第一部「京人形」

秋晴れの今日、歌舞伎座へ。二月以来の久しぶり。「十月大歌舞伎」初日、第一部「京人形」。左甚五郎に芝翫。京人形の七之助は相変わらず綺麗。最近、七之助の声が好きになってきたので、役柄上、声が聞けなかったのは残念。

半年以上ぶりに生で歌舞伎が観られて良かったが、やはり歌舞伎座では半日くらいゆっくりと飲み食べしながら過したいものではある。特に今回の第一部は公演時間が 40 分弱ほどしかなかったため、あまりにあっけなく、却ってその気持ちが強くなった。

歌舞伎座の感染対策は徹底していて、家にいるより安全だなと思うくらい。売店はほぼ全部閉まっているし、桟敷席はなし、それ以外の席も半分以下に間引いている。人が交わらないように、客も出演者も各部毎に完全入れ替えで、一幕だけだから幕間というものもない。劇場に入って、まばらな客席に行き、黙って座って観劇して、順に静かに退席して、劇場から出るのみ。おそらく、演劇界のみならず広く娯楽業界全体の中でも、圧倒的な優等生だろう。

しかし、おかげで歌舞伎座ならではの良さが失われているわけで、徐々にでも歌舞伎座らしい歌舞伎座に戻って行ってほしいものだ。また噂に聞く話では、慎重に制限を緩めていくようであるし、歌舞伎座が少しずつでも元気になっていくことを楽しみにしたい。


2020年2月18日火曜日

「二月大歌舞伎」夜の部

 昨日の午後はほがらかな陽気だったので、思い立って歌舞伎座の夜の部に行く。魔法瓶に入れた冷酒と、近所で買った太巻に柚子入りの稲荷寿司など。今月は十三世仁左衛門の二十七回忌追善狂言。昼の部は今の仁左衛門の「菅原伝授手習鑑」だし、また、このご時世だからだろうか、夜の部はかなり空いていた。

「八陣守護城」湖水御座船の場は、正清に我當など。かつて十三世仁左衛門が九十歳でこの正清をつとめたそうで、そのゆかり。確かにほとんど動きのない役だし、我當も相当のお歳だが、立派な舞台だった。

「羽衣」は玉三郎と勘九郎。私は踊りがよくわからないので、舞踊を観るときは「まだやっているのか」と時間が経つのを遅く感じることさえあるが、玉三郎は見惚れている間に時が過ぎる。

「文七元結」は長兵衛に菊五郎、女房お兼に雀右衛門、角海老のお駒に時蔵、文七に梅枝など。落語でお馴染の人情話。時蔵が吉原の女将らしく、その語りもしんみりしていて、いい雰囲気だった。本来、年の瀬のお話だが、おめでたくありがたい。

「道行故郷の初雪」は忠兵衛に梅玉と梅川に秀太郎、万才に松緑。秀太郎は十三世仁左衛門の忠兵衛を相手にしばしば梅川を演じたそうで、そのゆかりの追善狂言。封印切りの忠兵衛と梅川の道行き、途中で偶然出会った万才が鼓を持って二人に踊りを見せるのが、ちょっと不思議な感じで歌舞伎らしい。




2020年1月6日月曜日

「壽 初春大歌舞伎」夜の部

天気も良いことだし、年末年始の贅沢を締め括って初芝居と行こう。自作のマカロニサラダと白ワインを持参して歌舞伎座へ。五斗三番叟、連獅子、三島由紀夫の「鰯賣戀曳網」という新春に相応しくおめでたい尽しの夜の部。

「義経腰越状」は五斗兵衛盛次に白鸚。義経がらみのストーリィがあるとは言え要は、五斗兵衛が大酒を飲んでハチャメチャな三番叟を舞い踊るという、それだけの一幕。歌舞伎らしくめでたい。弾むような三味線の音が良かった。

続いて「連獅子」。歌舞伎舞踊と言えば連獅子の毛振り。戸板康二の『歌舞伎への招待』(岩波現代文庫)によれば、これを「狂う」と言うのだそうで、獅子の野獣的な動きを形容する動詞だとか。親獅子の猿之助と仔獅子の團子は息がぴったり。特に團子は振りが大きくてキレが良く、踊りのわからない私にも恰好良く見えた。

「鰯賣戀曳網」は鰯売りの猿源氏に勘九郎、傾城蛍火に七之助。三島由紀夫のダークサイドが隠されて、明るさとユーモアだけが花開いた、屈託のない大らかな作品。まさに喜劇はかくありたい。つまり、日本人がまだ愚かさという徳を持っていた頃を偲ばせるものでありたい。三島由紀夫の天才的な美意識の高さ、手先の器用さ、古典理解の深さがあってこそ可能だったわけだが、今の小賢しいだけの我々にはもう不可能なのかもしれない。若々しく姿の良い勘九郎と七之助がこの演目向き。お正月らしい良い舞台だった。


2019年12月13日金曜日

「十二月大歌舞伎」昼の部、B プロ

 天気が良く、気温も高かった昨日、思い立って歌舞伎座へ。「十二月大歌舞伎」昼の部。「たぬき」、「保名」、「壇浦兜軍記(阿古屋)」という B プロ。ちなみに A プロでは「保名」の代わりに「村松風二人汐汲」。また阿古屋を演じるのが A プロは玉三郎、B プロは児太郎と梅枝のダブルキャスト。

「たぬき」は金兵衛に中車、お染に児太郎、蝶作に彦三郎など。誰でも自分の葬式はどんなものだろう、自分の死後、親しい人々はどんな風だろうと思うものだ。大仏次郎原作のこの舞台はおかしいような哀しいような、いい塩梅でこの夢を描く。特に「たぬき」という題名がいい。脇役だが、芸者お駒の笑也がそれらしくて良かった。

「保名」は玉三郎。昼食後、一杯飲みながらうとうとと夢現に玉三郎の舞踊を観る。大変結構な贅沢である。

この日の阿古屋は児太郎。琴、三味線、胡弓のどれも立派に弾いていた。この演目はどうも役者の演奏につい興味の中心が行ってしまって、芝居の内容に気持ちが向かない。女方ですもの素養として弾けて当然です、くらいの格が備わらないといけないのかも。


2019年11月14日木曜日

吉例顔見世大歌舞伎

 十一月は顔見世の季節。今月だけの櫓が出る。冷酒を一合ほど魔法瓶に詰めて、歌舞伎座へ。「 吉例顔見世大歌舞伎」昼の部。「研辰の討たれ」、「関三奴」、「梅雨小袖昔八丈」いわゆる髪結新三。

「研辰の討たれ」は研辰こと守山辰次に幸四郎、平井九市郎と才次郎の兄弟に彦三郎と亀蔵など。大正時代に作られたもので、「近代的な感覚にあふれた異色の敵討劇」とのことだが、今から見れば異色と言うよりむしろ怪作では。面白おかしくは演じられても、一体どういう性根でこの研辰を演じるものなのか謎だ。

「関三奴」は芝翫と松緑。私は踊りはよくわからないのだが、酒を飲みながら、三味線や鳴り物の音を聞きながら、舞踊を見るのは好き。

「髪結新三」は新三に菊五郎、家主長兵衛に左團次、手代忠七に時蔵、弥太五郎源七に團蔵など。左團次が長兵衛にぴったり。「お前もわからねえ野郎だなあ。十両と五両で十五両、鰹は半分もらったよ」の繰り返しが妙におかしいし、菊五郎の新三を上から睨みつける気迫もいい。


2019年10月15日火曜日

「芸術祭十月大歌舞伎」夜の部


昨日は、二三の締切の他にも色々と切り良く片付いたので、一段落のお祝いも兼ねて歌舞伎座に出かける。「芸術祭十月大歌舞伎」夜の部。「三人吉三巴白浪」の通しと玉三郎・児太郎の「二人静」。

「三人吉三巴白浪」は和尚吉三に松緑、お坊吉三に愛之助、お嬢吉三に松也など。今回は序幕から大詰までの通し狂言。お嬢吉三はダブルキャストで奇数日は梅枝。私は梅枝が好きなのだが、松也のお嬢吉三にも興味があった。そもそも女装の盗人の役柄なわけだから、松也くらいの線の太さがあって丁度良い気がする。

お嬢吉三と言えば、今日初めてこれが八百屋お七のヴァリエーションだと気付いた。今まで気付いていなかった方が不思議ではあるが、私は普段それほどぼんやり観劇していると言えよう。それから、愛之助は化粧をすると仁左衛門に似てきたなあ。それはさておき、長い通し狂言ながらテンポよく飽かせず進み、全体に若々しく切れのある良い舞台だった。

「二人静」は静御前の霊に玉三郎、若菜摘に児太郎。前半がほとんどお能の静けさで、足袋の擦る音が聞こえるような緊張感。後半は玉三郎と児太郎の息もあって、前半との対照で振りも際立ち、踊りがよくわからない私ながら、ありがたいものを見せていただいた感だった。

2019年9月25日水曜日

「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部、千秋楽

魔法瓶に一合ほど冷酒を詰め、歌舞伎座へ。「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部、千秋楽。本当は夜の部で、仁左衛門の「勧進帳」が観たかったのだが、大人気で良い席がとれず。今月は歌舞伎座通いをお休みするかな、と思わないでもなかったが、月一回の贅沢だ。私は役者の誰彼が好きとかこの演目が好きとか言うよりは、わかりきった芝居をお馴染の役者で見ながら、三味線などの音を聞きながら、飲みながら、食べながら、時々うとうとするのが好きなのである。

「極付幡随長兵衛」は幡随院長兵衛に幸四郎、女房お時に雀右衛門、水野十郎左衛門に松緑など。舞台の中に舞台をしつらえた劇中劇で始まる趣向で有名。大昔からどのジャンルにもある趣向とは言え、いかにも歌舞伎らしい気もする。それはさておき、意外にもと言えば失礼だが、幸四郎がなかなか貫禄があって俠客の親分らしかった。

「お祭り」は鳶頭に梅玉、二人の芸者に梅枝と魁春。長い演目の間に、こういうおめでたい踊りが入るのは悪くない。ちなみに私は梅枝の顔が好きだ。浮世絵の美人のような面長の感じが。

「沼津」は呉服屋十兵衛に吉右衛門、雲助平作に歌六、お米に雀右衛門など。安定感のある配役で、吉右衛門と歌六の息もあっている。導入部の楽しいかけあいから、後半「実は……」と真実が判明しての展開は、いかにも歌舞伎らしい演目だなあ、とあらためて思った。今回は、芝居の途中で突然、追善と千秋楽の口上が入ったりもしたので、なおさら歌舞伎らしさを感じたのかも。


2019年8月19日月曜日

「八月納涼歌舞伎」第一部

気の抜けたスパークリングワインの残りを水筒に詰め、歌舞伎座へ。八月は三部制の納涼歌舞伎である。第二部の猿之助と幸四郎の「東海道中膝栗毛」は例年通りの大評判で即完売、第三部の玉三郎の「雪之丞変化」も最早良い席がない。第一部は今日がお盆明けの月曜日のせいか辛うじて良い席に空きがあり、天気予報によれば気温も低めなので、思い立って出かけた次第。「伽羅先代萩」と「闇梅百物語」。

「伽羅先代萩」は政岡に七之助。八汐と仁木弾正に幸四郎、栄御前に扇雀など。これまで何度も何度も見ているし、私は子役嫌いなのであまり好きな演目でもないのだが、政岡の役を七之助が初めて勤めるのが見所。

そして七之助の政岡は意外に良かった。政岡は女方最高峰の役とされていて、とにかく難しい上に、重厚さと品格が必要だという。しかし、政岡は小さな子供のいる若い女である。男勝りゆえの直情型の浅はかさ、という側面もあるのではないか、などと七之助の素直な演技から深読みさせられた。あと、沖の井の児太郎がきりっとして良かった。座っている姿が美しい。単に私が児太郎贔屓だからではないと思う。

「闇梅百物語」は読売(実は妖怪)に幸四郎、大内義弘(と狸)に彌十郎など。色々なお化けが踊ったり、お化けに見立てて腰元たちが踊ったりがメインの、筋があるようなないような他愛もない舞踊劇。夏らしいと言えば夏らしいし、先代萩のような重い演目のあとの息抜きに良い組み合わせだったかも。

2019年6月13日木曜日

「六月大歌舞伎」昼の部

月に一度の贅沢三昧。冷酒を一合だけ水筒に詰め、三越の地下でクレソンとひじきのサラダと今半のすきやき弁当を買って、歌舞伎座へ。「六月大歌舞伎」の昼の部。今月の夜の部は「三谷かぶき」が大評判で大入り満員、ほとんどの日は早々に全席完売し、毎夜カーテンコールの嵐と聞く。おかげで昼の部は比較的空いているよう。

「寿式三番叟」の三番叟を幸四郎と松也で。二人とも若々しく、そろった振りに切れがあり、なかなか見応えがあった。

「女車引」は松王丸、梅王丸、桜丸それぞれの妻を魁春、雀右衛門、児太郎で。車引の様子や賀の祝いの料理の支度の様子を振りで見せる踊り。多分、初めて観る演目のはず。三人とも上手だし、なかなか趣きがあって良かった。単に私が児太郎贔屓だからではないと思う。最近、おどりがわかってきたわけではないが、「ふーん」という感じでわりと面白く観られる。慣れてきただけだろうか。

「梶原平三誉石切」は梶原平三景時を吉右衛門、六郎太夫を歌六、梢を米吉など。安定感のある配役で、吉右衛門も貫禄。

「恋飛脚大和往来」は忠兵衛に仁左衛門、傾城梅川に孝太郎、八右衛門に愛之助など。御存知、「封印切り」である。やはり若旦那をやらせると仁左衛門は無敵。少し頼りなく、アホなところもあるが、何とも言えぬ品と愛嬌があって、おっとりとした「ええしの不良ぼん」感は最強。舞台ではせいぜい四十くらいにしか見えないが実際は相当のお歳なので、長く観られるものではないはず。仁左衛門とともに「関西の若旦那」は虚実ともに絶滅するのではないかとさえ思う。

仁左衛門の他には、脇役だがおえんを演じた秀太郎が良かった。この人のおかみ役も無敵だと思う。前世でお茶屋をやっていたのではないか。愛之助も嫌味な役を頑張ってこなしていたし、総合的にも今月の「封印切り」は非常に良かったと思う。余裕があればもう一回観たいくらい。

2019年5月23日木曜日

「團菊祭五月大歌舞伎」夜の部

 隠居の身としては贅沢は禁物なのだが、孤独死までの老い先も短かいことだし、たまの散財は冥土の土産として許されよう。いただきものの「紀土」大吟醸を一合ほど水筒に詰め、三越の地下でお弁当を誂えて、歌舞伎座へ。往路では『続 歌舞伎への招待』(戸板康二/岩波現代文庫)の「白拍子花子」の章で予習。さて今月の夜の部は「鶴寿千歳」、「絵本牛若丸」、「京鹿子娘道成寺」、「曽我綉俠御所染」。

「鶴寿千歳」は昭和天皇御即位の大礼を記念して作られた箏曲の舞踊だそうで、歴史的観点から興味深かった。いわゆる萬歳楽。賢帝が即位されると鳳凰が現れるそうだが、この曲では大臣と女御が雄鶴と雌鶴(松緑と時蔵)に姿を変えて萬歳楽を奏でるという趣向。

「絵本牛若丸」は七代目尾上丑之助の初舞台のための演目。寺島家のホームパーティに招かれた感の一幕。他愛もない見物だが、これもまた歌舞伎の一面。

「京鹿子娘道成寺」は白拍子花子を菊之助。踊りがわからない私とは言え、「道成寺」は華やかだし、綺麗だし、変化も多いので、大曲を飽かず観られる。菊之助は華麗かつ上品。難しいことをそつなくさらっとやる感じ。それに、当然かも知れないが、羯鼓を叩く振りが鼓の音にぴったり合っているのに感心した。

「曽我綉俠御所染」は御所五郎蔵を松也、傾城皐月を梅枝、土右衛門を彦三郎など。松也はこういうまっすぐな役が似合うし、梅枝は好きな女方なので、嬉しい組み合わせ。黙阿弥の芝居には、筋なんかどうでもいいから七五調の歌うような台詞を聞く心地良さがある。その面では彦三郎の声が大きく通っていい感じだった。


2019年4月13日土曜日

「四月大歌舞伎」夜の部

月に一度の贅沢をしに歌舞伎座へ。三越の地下で四月らしいお弁当を買って行く。「四月大歌舞伎」夜の部。「実盛物語」、「黒塚」、「二人夕霧」。

布引こと「源平布引滝 実盛物語」は仁左衛門の実盛。丁度行きの車中、『続 歌舞伎への招待』(戸板康二/岩波書店)で五代目菊五郎が初役の羽左衛門(当時、家橘)の実盛を評した芸談を読んだところだったので、興味深く観た。五代目によれば、葵御前に「泳ぎ参るとおぼしめせ」と世話にくだけて言うところは、三津五郎が始めた型だとか。それはさておき、仁左衛門は時代ものでも笑いを誘うような場面では世話風と言うか、ちょっと和事っぽい雰囲気が出るのが悪くない。


「黒塚」は老女岩手実は安達原の鬼女に猿之助。私は踊りはよくわからないのだが、舞踊劇だとまだ物語性もあるので、それなりに楽しく観られる。岩手が一人で踊る二場めが美しく、現代的な演出が効いていて良かった。

「二人夕霧」は伊左衛門に鴈治郎、後の夕霧に孝太郎、先の夕霧に魁春など。「吉田屋」の後日談、という恰好になっているパロディ舞踊劇。面白おかしくも馬鹿馬鹿しいお話だが、基本的に踊りであるところが味噌で、おかげでだれるような気もするが、そこが上品な気も。しかし、兎に角おめでたい感じがいい。鴈治郎だからいいのかも。ところで、後の夕霧が相変わらず笄を一杯差した傾城風の恰好のまま、蛸をぶら下げて腰をふりふり花道を帰ってくるところがキッチュで、歌舞伎の美を感じた(笑)。




2019年3月8日金曜日

三月大歌舞伎

不景気とは言え、月に一度くらいは贅沢をするか。冷酒一合を水筒に詰めて歌舞伎座へ。三越の地下で、筍と海老団子の惣菜と「弁松」の幕の内弁当を買って行く。昼の部、「女鳴神」「傀儡師」「傾城反魂香」。

「女鳴神」は「鳴神」の男と女を逆さまにした演目。鳴神上人ならぬ鳴神尼に孝太郎、雲の絶間姫ならぬ雲野絶間之助に鴈治郎。男の色香に迷わせて鳴神尼から神通力を奪う、水もしたたる二枚目、雲野絶間之助が鴈治郎。鴈治郎が雲野絶間之助ですよ。どうだろうと思ったが、意外にも(失礼)鴈治郎がきっちり美男だったし、孝太郎も良かった。妖怪と化した鳴神尼を討ち取る佐久間玄蕃盛政も鴈治郎。鴈治郎の顔の大きさは無敵。

幸四郎の「傀儡師」。洒落た舞踊だが、味わうのが難しい演目である。が、たまたまこの前の年末の邦楽の会で、解説つきで「傀儡師」を観ていたため、今回なるほどと思いながら楽しめた。私は踊りはわからないのだが、幸四郎が上手にすらすら踊っていた気がする。

「傾城反魂香」序幕は、狩野四郎二郎に幸四郎、銀杏の前に米吉、狩野雅楽之助に鴈治郎など。鴈治郎がまた活躍。二幕目「土佐将監閑居の場」はいわゆる吃又、吃りの又平に白鸚、おとくに猿之助、土佐将監光信に彌十郎など。

観劇の気分を盛り上げるために、『続 歌舞伎への招待』(戸板康二/岩波現代文庫)を持参して合間に読んでいたのだが、たまたま「吃り」の演技を名優の芸談で論じているところに出会い、期待が不自然に高まってしまった。そのせいで白鸚にもうひとつ満足できなかったかも。

 

2019年2月9日土曜日

二月大歌舞伎

急に寒くなった夕方、熱燗を魔法瓶に入れ、「古市庵」で穴子巻と稲荷寿司各種を買って、歌舞伎座へ。「二月大歌舞伎」夜の部。「熊谷陣屋」、「當年祝春駒」、「名月八幡祭」。

「熊谷陣屋」は直実に吉右衛門、相模に魁春、藤の方に雀右衛門、弥陀六に歌六など。何度めだ熊谷陣屋の感もあるが、今回はバランス良くヴェテランを揃え、非常に良い舞台だったのでは。特に魁春、歌六が品良く、かつ重厚で良かった。この二人を見ると、昔の人は確かにこんな座り方をしていた、こんな佇まいだった、と思うことが多い。

「當年祝春駒」は曽我ものの長唄舞踊。曽我五郎と十郎に左近と錦之助、工藤祐経に梅玉など。先月も曽我もので春駒を観たが、今月も年越し(節分)だし、おめでたくて良い。特に若者中心で見ためが綺麗。聞いたところでは、左近はまだ子供ながら、すでに踊りが上手と言われているそうな。踊りがわからない私の目にも、立派に様になっている気がした。

「名月八幡祭」は縮屋新助に松緑、美代吉に玉三郎、三次に仁左衛門、藤岡慶十郎に梅玉など。辰之助三十三回忌追善狂言ということで、松緑を人気俳優が囲む形。だから当然なのだが周りが豪華過ぎて、特に玉三郎と仁左衛門にいちゃいちゃされていては、松緑が目立たない。また、純朴な田舎商人という役柄が松緑にしっくり来ない気もする。そもそも脚本と演出が現代的で、演じるのも観るのも難しい演目になっているせいかも。色々と思うところのあった芝居だが、とりあえず、玉三郎の深川芸者は色っぽくて、悪気はないのだろうがこんな姐さん相手じゃ悲劇もしょうがない……的な雰囲気が良く出ていた。


2019年1月17日木曜日

初芝居「壽 初春大歌舞伎」

さて、今月も冥土の土産と言い聞かせて、歌舞伎座へ贅沢に行く。しかし、せめてもの節約心、自分でサンドウィッチを作り、余った食パンを焼いて小さく切り、冷蔵庫で腐りかけていた、いや、熟成していたチーズと一緒に詰めて、ワインも水筒で持参。

「舌出三番叟」は芝翫と魁春。踊りはよくわからない私だが、おめでたい感じが良かったし、息もよくあっていたのでは。

「吉例寿曽我」は曽我箱王に芝翫、一万に七之助、舞鶴に児太郎。単に私が児太郎贔屓だからかもしれないが、舞鶴の女暫が良し。そして梛の葉に福助登場。歩きはしなかったが、動きも台詞もしっかりしていた。初春には曽我ものがお約束だし、これまたおめでたい。

「廓文章」の吉田屋は伊左衛門に幸四郎、夕霧に七之助。この二人は若くて綺麗なのが何と言っても良いところだが、伊左衛門の「あほぼん」ぶりがややわざとらしく、演じてますよという感じ。そもそも「あほぼん」は関西人にしか本当の味が出せないというのが私の持論なので、厳しく見過ぎかもしれない。

「一條大蔵譚」は一條大蔵長成に白鸚、常盤御前に魁春、鬼次郎に梅玉、お京に雀右衛門など。大蔵卿が平家全盛の世に「アホ」のふりをしている話。作り阿呆が人を馬鹿にしているように見えてはいけないわけで、作り阿呆にせよ、あほぼんにせよ、アホの真髄はやはり上方でないと……と思ってしまうのは私の偏見だろうか。

全体に初芝居に相応しいおめでたい舞台で良かった。今年の運が開けそう……かも。



2018年12月26日水曜日

「十二月大歌舞伎」昼の部、千秋楽

先日、夜の部で玉三郎の阿古屋を観たところだが、今年最後の贅沢納めに再び歌舞伎座、昼の部へ。年の瀬で懐も寒いが、老い先短い身の上、これも冥土への土産。酒を一合だけ水筒に詰めて、切子のグラスを持って外出。お弁当は三越地下で買ったばら散らし。

「幸助餅」は上方落語で聴いたことがあるが、お芝居は初めて。松竹新喜劇の演目を歌舞伎化したもので、歌舞伎座で上演されるのは今回初とか。幸助に松也、関取雷に中車など。不覚にもじーんとしてしまった。やはり、年の瀬や水の流れと人の身はではないが、人情の儚さや有り難さが身に沁みてくる季節なのだろうか。

 「於染久松色読販」(お染久松)は壱太郎が、お染と久松の他の色々含め七役を早変わりで演じる。七役ともなるとどうしても、顔が描き分けられない漫画を読んでいる感じになってしまうものだが、歌舞伎らしい趣向として素直に楽しんだ。一人が演じている二役が同時に登場する(ように見える)場面をいかに実現するかに、密室トリックやアリバイ崩しのような趣きがあって面白い。日本の古典芸能にはこんなからくり好きな一面がある。ちょっと連城三紀彦や泡坂妻夫を思い出したり。

ちなみに私はこれまで壱太郎があまり好きでなかった。多分、顔の感じがタイプでないだけだと思う。しかし、今回の舞台はかなり良かった。壱太郎の腕が上がったのか、化粧が変わったのか、私が慣れてきただけなのか分からない。私の好みはさておき、主役を張れる女形に成長していることは確かで、今日などは千秋楽ということもあって「成駒屋かずちゃんオンステージ」の貫禄があった。


2018年12月13日木曜日

「十二月大歌舞伎」玉三郎の「阿古屋」他


いただきものの賀茂鶴と杯を持参し、「今半」のすき焼き重ね弁当を買って、歌舞伎座へ。今月の夜の部は、「壇浦兜軍記(阿古屋)」で阿古屋を玉三郎がつとめるAプロと、梅枝と児太郎がダブルキャストでつとめるBプロに分かれていて、悩ましい。玉三郎の阿古屋は今観ておかねばではあるし、私は児太郎も梅枝も好きな女形なのでそれぞれの初挑戦も観たい。しかし年末で時間にも懐にも制限がある中、日程の許す範囲で一番良い席が取れる日で選んだところが、今日のAプロ。

「壇浦兜軍記」は阿古屋に玉三郎、重忠に彦三郎など。重忠が阿古屋に拷問の代わりに琴、三味線、胡弓を弾かせて心中を見抜こうとする「琴責め」の段。そもそも不自然な設定なのはさておき、役者が三つの楽器を実際に弾く必要はさらさらなく、芝居なのだから弾くふりでよいはずだ。そこを本当に弾いてしまうのが歌舞伎の趣向で、演じる方は大変だが、観る方は面白い。玉三郎の阿古屋はさすが。綺麗なのは勿論だが、歌いながら、地方とあわせながら演奏していても、役者としてがんばってますよ、すごいことやってますよ、と感じさせない。教養豊かで健気で儚げな阿古屋の姿が自然に見えてくるところが素晴しい。ところで、玉三郎は特に胡弓がうまい気がする。

「あんまと泥棒」は泥棒の権太郎に松緑、あんまの秀の市に中車。ラジオドラマの脚本を歌舞伎化したものらしい。落語ならまだしも歌舞伎にする意味があったのかどうか。でも、観る方も気が張る「阿古屋」のあとがこういう気楽な演目なのは、良い塩梅。

Aプロの最後は梅枝と児太郎で「二人藤娘」。この二人の阿古屋は観られなかったが、踊りで共演を堪能。

私はのんびりした昼の部の雰囲気が好きなので、再度、昼の部の歌舞伎座を訪れて芝居納めにしよう、という気持ちと、今日の舞台が良かったからこれで気分良く締めておく、という気持ちの間で揺れ動いている。


2018年11月9日金曜日

「吉例顔見世大歌舞伎」

 十一月は顔見世の季節である。と言うわけで、歌舞伎座へ。「吉例顔見世大歌舞伎」夜の部。地下の木挽町広場にはクリスマスツリーなども飾られていて、既に年末の風情。「楼門五三桐」、「文売り」、「隅田川続俤」(法界坊)。「五三桐」は絶景かな絶景かな的に景色を見せるだけの演目だし、「文売り」は舞踊なので、たっぷり三時間弱「法界坊」。

「楼門五三桐」は石川五右衛門に吉右衛門、真柴久吉に菊五郎。この二人はやはり貫禄があるし、絵にもなる。それはさておき、先月も気になったが、この演目も春のものなので季節外れだ。顔見世には相応しい演目かもしれないが、若干興醒め。演出側はあまり舞台の季節を気にしないのだろうか。

「文売り」は雀右衛門。恋文を売り歩く文売りが、二人の傾城が男を争う様子を話し聞かせる、という筋の舞踊劇。清元との掛け合いには、演じられた登場人物がさらに誰かを演じるメタな面白さがあるかも。雀右衛門はどんどん雀右衛門になってきた感じ。もう顔が雀右衛門だし、声も雀右衛門。

「法界坊」は法界坊に猿之助、おくみに尾上右近、要助(実は松若丸)に隼人、野分姫に種之助、道具屋甚三に歌六など。生臭坊主のお茶目な小悪党法界坊の役柄は、猿之助に向いている。全体に猿之助だなあ、の感。例えば、幽霊になった法界坊が宙乗りする必要はさらさらないのだが、兎に角楽しく、わあっと勢いで演じる感じは嫌いでない。とは言え、猿之助の演技の現代的過ぎる部分も、歌六のような歌舞伎らしい芝居ができる配役に囲まれてこそ。やはり古典を支えるのは渋い脇役と地方(じかた)だ。

最後の大喜利として舞踊「双面」。こちらはおくみのドッペルゲンガーと、法界坊と野分姫の合体した霊を猿之助が演じ踊る。右近、隼人の他、渡し守おしづとして雀右衛門も。猿之助は意外に(?)女形が良いし、踊りもうまい。話の筋からすれば法界坊と野分姫が合体する理由がまるで分からないが、歌舞伎はそういうもので、つまり一人でこの演じ分けをするのが面白いわけである。

総体として、夜の部は顔見世と言うよりは猿之助祭りだったが、それはそれで楽しかった。



2018年10月18日木曜日

「芸術祭十月大歌舞伎」昼の部

歌舞伎座の昼の部へ。今月はもちろん夜の部で仁左衛門の助六を観たかったが、(おそらく)助六の演じ納めとのことで満員御礼、もうほぼ席がとれない。しかし、私は落語の「二階ぞめき」の若旦那と同じで、どの役者が好きとかどの芝居がいいとかより、歌舞伎座の雰囲気が全体として好きなので、空いている昼の部の観劇で特に不満はない。

「神雷」純米原酒ひやおろしを一合ほど水筒に詰め、酒器を持って家を出る。三越の地下でお弁当を物色。今年一杯は生誕半世紀フェア実施中だし、老い先短い身の上、思い切って贅沢をしようと、「美濃吉」で三段御重の弁当を買って、足取りも軽く歌舞伎座へ。

「三人吉三巴白浪」は、お嬢吉三に七之助、お坊吉三に巳之助、和尚吉三に獅童と、若々しい配役。私は七之助の声は好きなのだが、黙阿弥の名台詞にはまだまだの感。ここぞ待ってましたのところなので、もっとこってり、たっぷりと、古典的にやっていただきたい。あと、この大川端の場は春にやらないとさすがに興醒めなのでは。

「大江山酒呑童子」は、酒呑童子を勘九郎など。元気良く、またキレも良く踊っていたが、それ以上なのかそれだけなのか、私は踊りが良く分からないので何とも言えない。「佐倉義民伝」は、木内宗吾に白鸚、おさんに七之助、幻の長吉に彌十郎など。白鸚は貫禄。彌十郎が短い出番だが悪人を上手に演じて印象的だった。

帰りにパン屋でクロワサン、花屋で薔薇、スーパーでビールを買って帰宅。



2018年9月10日月曜日

「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部

三越で弁当などを調達して、歌舞伎座へ。「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部。「金閣寺」、「鬼揃紅葉狩」、「河内山」。「金閣寺」は季節外れだが、全体に落ち着いた演目で配役も渋く、それが長月らしい。

「金閣寺」は雪姫に児太郎、大膳に松緑、此下東吉(実は真柴久吉)に梅玉など。私は児太郎の姫役がけっこう好き。「金閣寺」は結局のところ、お姫様が縄で桜の木に縛りつけられ着物の裾を乱して足先で鼠の絵を描く、という場面を成立させるためにお話全部があるようなものなので(偏見?)、好きなタイプの女形が雪姫なら私としてはそれで万事 OK な感じ。ところで、今回の注目は福助の約五年ぶりの舞台復帰。ほんのわずかな時間だが慶寿院尼を演じる場に、大向こうからは次々に声がかかり、観客からも拍手が送られていた。

「紅葉狩」は更科の前(実は戸隠山の鬼女)に幸四郎、平維茂に錦之助など。松羽目に描かれた紅葉に秋を感じる。三演目の二つ目が踊りの構成はいいね。

黙阿弥の「河内山」は河内山宗俊に吉右衛門、松江出雲守に幸四郎など。やはり黙阿弥は台詞がいい。吉右衛門は安心して観られる安定感。ところで、昼の部、幸四郎は出ずっぱりだ(相変わらず幸四郎の名前に慣れないが)。

重陽の節供なので、菊花酒。


2018年8月20日月曜日

「八月納涼歌舞伎」第一部

夏と言ってもどこかにヴァカンスに行くわけでもなく、自宅にひきこもりの毎日なので、暑さの隙をついて歌舞伎を観に行く。三越の地下でばらちらしを買い、歌舞伎座へ。「八月納涼歌舞伎」第一部。「花魁草」、「龍虎」、新作「心中月夜星野屋」。

 「花魁草」はお蝶に扇雀、幸太郎に獅童など。扇雀は哀れな年増の情感をうまく演じていたような。

「龍虎」は幸四郎と染五郎。踊りはよくわからないが、息はあっていたのでは。それはさておき、いまだにこの二人の名前に慣れない。

「心中月夜星野屋」は小佐田定雄の脚本による新作歌舞伎。星野屋照蔵に中車、おたかに七之助、その母お熊に獅童。肩の凝らない世話狂言で、落語か俳優祭のような楽しい雰囲気。それぞれの役に、現代的で芸達者な俳優たちが全員ぴたっとはまっていて、気分良く笑える良い舞台だった。脚本も面白いが、配役でなお成功した感じ。

「納涼歌舞伎」は三部制なので、時間が短かく見疲れないのが良い。しかし、歌舞伎は観る側もあれこれ準備して、一日がかりで観劇するところが楽しさの肝でもある。個人的には基本は二部制で、たまに三部制くらいがいいかなあ。