先日の三月三日、高橋陽一郎先生がお亡くなりになった。
私が大学四年生の頃、就職をする気もなかったのだが、大学院に行ってどうなるものでもないし、どうしたものかなあ、と思いつつ、先生から「来年どうするの」と訊かれ、「進学しようかなあと……」と口を濁すと、「うん、むいてるかもね」とおっしゃっていただいたのが、先生から本格的にご指導いただく日々の始まりだった。
先輩方からは怖い先生だと聞いていて、実際、怖い先生だったのだが、私が進学したころからは柔らかくなったとのことである。事実、私が厳しく叱責されたのは、以前に「池田先生のこと」に書いた一回だけだった。とは言え、一週間に一回の修士ゼミ、博士ゼミは毎回とても恐しかった。
ゼミでは論文を読んだ話をするか、自分の研究の話をするかだが、後者はもちろん、前者ですら進展がないことがある。学生が皆そうだとなると、どうやって今週のゼミを穏やかにやり過すかという作戦を練る(大体が「継投策」だ)。そして、おそるおそる 4 階の院生室から先生の研究室に降りて行き、びくびくしながらノックをして、今日のゼミをお願いします、と言うわけだ。そして大抵、穏やかには済まされないのだった。
学生の頃の私はあまり意識していなかったが、先生は変わったタイプの数学者だったようだ。一言で言えば、あまり論文を書かない。先生が書いた一番良い論文は学生時代に書いた論文だという悪口も聞いたことがある。しかし、確率論やエルゴード理論や力学系の広い分野で一目も二目も置かれていた。その理由は、表面的には、「(仕事はしないが)頭が良い、キレる」ことと「面白いホラを吹く」ことだったように思う。
数学者の「頭の良さ」には色々あるが、私が感じた先生の鋭さは、問題を初等的な線形代数や微積分のパズルに落とし込む鮮やかな手並みだった。先生は抽象論より、具体的な小さな問題を好んだ。素朴なモデルで本質は言い尽せると思っていて、大きな抽象論は信用していなかった。それだから、と言うべきか、理論構築は苦手だった。そんなスタイルが若い頃に留学していたソ連(ロシア)の数学と関係があるのかどうか、私にはわからない。しかし、独特の深い数学観を持っていた。
「面白いホラを吹く」は数学者独特の言い回しで、(正しいかどうか怪しいが)興味深い方向性を示したり、問題の本質を見抜いたりする、という意味合いである。先生はその意味で、研究を刺激する大きな影響力があったと思う。が、仕事をしない。理論を作るタイプでもない。おそらく、論文のインパクトファクタだけで能力が測られるような当世では、ほとんどいなくなった、ひょっとしたら絶滅した類の数学者かもしれない。
私は先生の某共著論文を読むことから研究の真似事を始めたのだが、後年、先生はその論文について、「自分がもし確率論の研究者だと思われているなら、それは W 先生とあの共著論文を書いたからだ」と私にこぼされた。その論文がご自慢だったのだろう。しかし、その珍しく謙虚な表現に、やはり先生ご自身、生産的でもなければ、理論も作らないことに複雑な思いを持っているのかもしれない、と感じたことであった。しかし、私は先生のようなタイプの数学者が好きだったし、今も好きだ。
晩年の先生は、私が学生だった頃、つまり教養学部基礎科学科第一の頃を、一番楽しかった良い時代として思い返されていたようだ。最も多くの学生に囲まれ、毎週のゼミでわいわいやっていた頃だからだろう。今、私はそのことを一番に嬉しく思う。
百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より
2019年3月11日月曜日
2018年1月17日水曜日
池田先生のこと
昨日 1 月 16 日に池田信行先生がご逝去されたことを確率論メイリングリストで知る。
池田先生は伊藤清先生のすぐ下の世代で、日本の確率論の初期を代表する方だったと思う。今では日本の確率論は非常に大きな勢力となって、細分したグループそれぞれが既にかなりのサイズなので、確率論全体を一つにまとめるような方を思い浮かべることは難しい。池田先生は親分肌でもあり、そういう日本の確率論全体のリーダーだった。
私が池田先生の名前を知ったのは大学院生の頃で、もちろん、確率論を真面目に勉強しようとすると、当然 ``Ikeda-Watanabe" の名前を知るのである。私も修士の一年で読み始めた教科書がこれだった。私の指導教官は高橋陽一郎先生だったが、高橋先生は池田先生と親しく、また尊敬もされていたようである。例えば、Mark Kac の数学に強い興味を持っていたことや、数学のスタイルなど、今になって思えば、かなりの影響を受けていたと思う。
やはり院生のとき、池田先生の研究ノートのコピーを私がゼミで読むことになった。しかし、私の準備がまるで不満足なものだったので、高橋先生から「君には池田先生のノートを読む資格はない」と強く叱責されたことは、今思い出しても身の縮むような、また辛い記憶である。
そののち、学位をとってから立命館大学に就職して、池田先生とは同僚の関係になった。数学そのものについては、生焼けで失敗作の共著論文を一本書かせていただいただけで、私自身の非力と不真面目を後悔するしかない。しかし、日本の確率論発展の初期の頃の様々なエピソードなど、あれこれと身近に教えていただいたことは、ありがたくも貴重なことであった。
池田先生はその頃から数年で退職され、私もそのあとまた数年で大学を辞めたので、すっかり疎遠になっていた(池田先生は私の辞職にかなりご不興だったと聞く)。しかし、学会に顔を出されていたなどと人伝に聞いては、ご健勝ぶりを喜んでいたものであった。かなりの御年だったので大往生のはずと信じるが、寂しいことである。
池田先生は伊藤清先生のすぐ下の世代で、日本の確率論の初期を代表する方だったと思う。今では日本の確率論は非常に大きな勢力となって、細分したグループそれぞれが既にかなりのサイズなので、確率論全体を一つにまとめるような方を思い浮かべることは難しい。池田先生は親分肌でもあり、そういう日本の確率論全体のリーダーだった。
私が池田先生の名前を知ったのは大学院生の頃で、もちろん、確率論を真面目に勉強しようとすると、当然 ``Ikeda-Watanabe" の名前を知るのである。私も修士の一年で読み始めた教科書がこれだった。私の指導教官は高橋陽一郎先生だったが、高橋先生は池田先生と親しく、また尊敬もされていたようである。例えば、Mark Kac の数学に強い興味を持っていたことや、数学のスタイルなど、今になって思えば、かなりの影響を受けていたと思う。
やはり院生のとき、池田先生の研究ノートのコピーを私がゼミで読むことになった。しかし、私の準備がまるで不満足なものだったので、高橋先生から「君には池田先生のノートを読む資格はない」と強く叱責されたことは、今思い出しても身の縮むような、また辛い記憶である。
そののち、学位をとってから立命館大学に就職して、池田先生とは同僚の関係になった。数学そのものについては、生焼けで失敗作の共著論文を一本書かせていただいただけで、私自身の非力と不真面目を後悔するしかない。しかし、日本の確率論発展の初期の頃の様々なエピソードなど、あれこれと身近に教えていただいたことは、ありがたくも貴重なことであった。
池田先生はその頃から数年で退職され、私もそのあとまた数年で大学を辞めたので、すっかり疎遠になっていた(池田先生は私の辞職にかなりご不興だったと聞く)。しかし、学会に顔を出されていたなどと人伝に聞いては、ご健勝ぶりを喜んでいたものであった。かなりの御年だったので大往生のはずと信じるが、寂しいことである。
2017年11月19日日曜日
先生根性
昨日、午後は R 大確率論・数ファ系研究室の卒業生と教員の同窓会的な研究集会と、その同窓会組織の会合に付随した講演会。この講演会では、私が卒研を見た T 本君が「人工知能と金融のお話」の題で話すというので、一応出席しないわけには行かないかな、と雨の中出かけた。
やはり元教員としては、昔、学生として接していた彼等が今活躍している様子をうかがうと、なかなかに感慨深いものがある。私自身は、私が若い頃には若い頃を十二分に堪能したので、既に若者にはあまり興味がないのだが(これはヴィスコンティ監督の名言だったっけ)、それでも、胸が温かくなるような気持ちがするのは、先生根性が抜け切らないのだろう。
卒研の教え子の講演を聞いたあと、懇親会は遠慮して即帰宅。卒研でなにをやったか私は忘れていたが、講演で「大偏差原理の本を読んだ」と聞いて、そうだそうだ、と思い出したことであった。Stroock だったかな?
やはり元教員としては、昔、学生として接していた彼等が今活躍している様子をうかがうと、なかなかに感慨深いものがある。私自身は、私が若い頃には若い頃を十二分に堪能したので、既に若者にはあまり興味がないのだが(これはヴィスコンティ監督の名言だったっけ)、それでも、胸が温かくなるような気持ちがするのは、先生根性が抜け切らないのだろう。
卒研の教え子の講演を聞いたあと、懇親会は遠慮して即帰宅。卒研でなにをやったか私は忘れていたが、講演で「大偏差原理の本を読んだ」と聞いて、そうだそうだ、と思い出したことであった。Stroock だったかな?
2017年9月23日土曜日
ルイス・キャロルの数学と私
先週、拙著「測度・確率・ルベーグ積分」(講談社)が出版されて今は、あんなに何度も校正したのに沢山残っていた間違いや誤植にため息をついているところである。サポートページの正誤表を更新してはいるものの、改訂のチャンスがあればよいのだが。
それはさておき、今まで沢山出版されている測度論と確率論の教科書に対する拙著の特色は、薄い、軽い、数学の専門家向けではない、などの他に、ルイス・キャロルにかなりページ数を割いて言及していることである。おそらく、一言でもキャロルに触れた現代的確率論の本は他にないだろう。
私は以前から、ルイス・キャロルの "Pillow Problems"「枕頭問題集」の確率に関する(複数の)問題の単純な間違いを、なぜ誰も指摘しないのか、とフラストレーションを感じていた。ほとんどの訳者は数学の知識、特に現代的確率論の知識を持っていないため、気づかないのは仕方がない。そもそもマイナな作品のため、気づいた読者も特に公には言及しないのだろう。しかし私としては、いつか機会があれば、このことを書きたいと思っていた。
また、随分と前のことで経緯は忘れたが、某出版社からルイス・キャロル全集の企画を手伝ってほしいと頼まれたことがある。数学に関する業績も入れたいから、数学が主題の論文や記事の内から主要なものを選んで訳してほしい、とのことだった。今なら話半分に聞くが、当時の私は真面目だったので、キャロルの業績がほぼ網羅されている、イギリスで出版された全集の大量のコピーを一ヶ月ほどかけて熟読したのだった。そして、重要かつ代表的と思われる論文数編を選び、翻訳もした。しかし、良くあることながら、その企画はお流れになったらしく、編集者も何の連絡もしてこなくなった。
おかげで私はキャロルの数学的業績に通じることになった。初歩の論理学、代数、暗号、円積問題(円と面積が等しい正方形の作図問題)などは予想の範囲内だったが、公平なトーナメントや選挙の方法に関する論考や提案など、シリアスな貢献と言えなくもない仕事もある。キャロルの数学の世界の全体に目を開かされたことは良い経験だったが、直ちに何かに生かせるわけではない。まあ、無駄骨を折ったわけで、こういうのを「教養」と呼ぶのかも知れないが、いつか何かの形にできないものかとも思っていたのである。
私見ではルイス・キャロル(Dodgson, C.L.)の数学的業績は、おそらく、大したものではない。しかし、19 世紀末というある意味で絶妙の時期に、キャロル的としか言いようのない独特のセンスで活躍したため、数学史・科学史的に興味深い題材になっていると思う。例えばその一つが、今回「測度・確率・ルベーグ積分」でも触れた、測度論誕生前夜のエピソードとしての「ランダムに選んだ数が有理数である確率、無理数である確率」を巡る論争である。
以上の二つの理由から、このあたりのことについて何か文章を残したいと思っていたところに、「応用者向けの測度論の入門書を書かないか」と出版社から相談され、正直に言うと、導入部でキャロルについて書きたいばっかりに二つ返事で引き受けたのである。そして無事に出版までたどり着けたが、説得力のあるイントロダクションになっているかどうかは、読者諸氏のご判断に任せるしかない。もちろん私自身は、欲求不満の一部を解消できたこともあり、けっこう気に入っている。
それはさておき、今まで沢山出版されている測度論と確率論の教科書に対する拙著の特色は、薄い、軽い、数学の専門家向けではない、などの他に、ルイス・キャロルにかなりページ数を割いて言及していることである。おそらく、一言でもキャロルに触れた現代的確率論の本は他にないだろう。
私は以前から、ルイス・キャロルの "Pillow Problems"「枕頭問題集」の確率に関する(複数の)問題の単純な間違いを、なぜ誰も指摘しないのか、とフラストレーションを感じていた。ほとんどの訳者は数学の知識、特に現代的確率論の知識を持っていないため、気づかないのは仕方がない。そもそもマイナな作品のため、気づいた読者も特に公には言及しないのだろう。しかし私としては、いつか機会があれば、このことを書きたいと思っていた。
また、随分と前のことで経緯は忘れたが、某出版社からルイス・キャロル全集の企画を手伝ってほしいと頼まれたことがある。数学に関する業績も入れたいから、数学が主題の論文や記事の内から主要なものを選んで訳してほしい、とのことだった。今なら話半分に聞くが、当時の私は真面目だったので、キャロルの業績がほぼ網羅されている、イギリスで出版された全集の大量のコピーを一ヶ月ほどかけて熟読したのだった。そして、重要かつ代表的と思われる論文数編を選び、翻訳もした。しかし、良くあることながら、その企画はお流れになったらしく、編集者も何の連絡もしてこなくなった。
おかげで私はキャロルの数学的業績に通じることになった。初歩の論理学、代数、暗号、円積問題(円と面積が等しい正方形の作図問題)などは予想の範囲内だったが、公平なトーナメントや選挙の方法に関する論考や提案など、シリアスな貢献と言えなくもない仕事もある。キャロルの数学の世界の全体に目を開かされたことは良い経験だったが、直ちに何かに生かせるわけではない。まあ、無駄骨を折ったわけで、こういうのを「教養」と呼ぶのかも知れないが、いつか何かの形にできないものかとも思っていたのである。
私見ではルイス・キャロル(Dodgson, C.L.)の数学的業績は、おそらく、大したものではない。しかし、19 世紀末というある意味で絶妙の時期に、キャロル的としか言いようのない独特のセンスで活躍したため、数学史・科学史的に興味深い題材になっていると思う。例えばその一つが、今回「測度・確率・ルベーグ積分」でも触れた、測度論誕生前夜のエピソードとしての「ランダムに選んだ数が有理数である確率、無理数である確率」を巡る論争である。
以上の二つの理由から、このあたりのことについて何か文章を残したいと思っていたところに、「応用者向けの測度論の入門書を書かないか」と出版社から相談され、正直に言うと、導入部でキャロルについて書きたいばっかりに二つ返事で引き受けたのである。そして無事に出版までたどり着けたが、説得力のあるイントロダクションになっているかどうかは、読者諸氏のご判断に任せるしかない。もちろん私自身は、欲求不満の一部を解消できたこともあり、けっこう気に入っている。
2017年8月30日水曜日
校了
昨日、念校のチェック箇所の反映を確認して、校了。もうこの後、私にできることはなく、(本当に出版されるなら)出版を待つだけなので、シャンパンで自分にお疲れ様。
測度論、(ルベーグ)積分論、測度論的確率論の初歩のあたりをカバーする入門的教科書なのだが、このジャンルには(読者の少なさのわりには)既に、沢山の本が出版されている。さすがに、もう十分なのではないか、という気もする。私自身、定番的な教科書二冊(Williams, Capinski-Kopp)に共訳者として携わったので、訳書も含めればこれが三冊目だ。
しかし、最近、数学以外の分野の学習者から、現代的な確率論の基礎を学びたい、測度論を知りたい、と言う声を良く聞くわりには、非専門家向けの適当な教科書がないのではないか、と出版社の方がおっしゃるので、まあそう言えなくもないかなあ、とその気にさせられたわけである。主旨としては、数学が専門ではない理工系の読者を対象に(面倒な証明は省略可能)、コンパクトに必要事項をまとめ(全体で 160 ページ以内)、しかも、なぜそう考えるのかは親切に説明する(前の要請と対立するが)、という感じ。
先日、知り合いの方とお話していたときに、近頃出版された T.タオの本の話題から、測度論の教科書の話になった。どうやら最近、測度論がはやっているのではないか。ここでさらにもう一冊出すのは「駄目押し」って感じですね、などと笑ったのだが、実際、本来の囲碁の意味で駄目を置いただけにならないか、ちょっと不安。
測度論、(ルベーグ)積分論、測度論的確率論の初歩のあたりをカバーする入門的教科書なのだが、このジャンルには(読者の少なさのわりには)既に、沢山の本が出版されている。さすがに、もう十分なのではないか、という気もする。私自身、定番的な教科書二冊(Williams, Capinski-Kopp)に共訳者として携わったので、訳書も含めればこれが三冊目だ。
しかし、最近、数学以外の分野の学習者から、現代的な確率論の基礎を学びたい、測度論を知りたい、と言う声を良く聞くわりには、非専門家向けの適当な教科書がないのではないか、と出版社の方がおっしゃるので、まあそう言えなくもないかなあ、とその気にさせられたわけである。主旨としては、数学が専門ではない理工系の読者を対象に(面倒な証明は省略可能)、コンパクトに必要事項をまとめ(全体で 160 ページ以内)、しかも、なぜそう考えるのかは親切に説明する(前の要請と対立するが)、という感じ。
先日、知り合いの方とお話していたときに、近頃出版された T.タオの本の話題から、測度論の教科書の話になった。どうやら最近、測度論がはやっているのではないか。ここでさらにもう一冊出すのは「駄目押し」って感じですね、などと笑ったのだが、実際、本来の囲碁の意味で駄目を置いただけにならないか、ちょっと不安。
2017年7月12日水曜日
十の定理
今日 12 日発売の「数学セミナー」8 月号(日本評論社)の特集「分野を語る 10 の定理」で確率と統計のパートを担当した(「確率と統計を語る 10 の定理」)。
「確率・統計」とまとめて言われても、確率論も統計学もそれぞれに広大な分野であり、しかも私は確率論の専門家ではあっても統計学をほとんど知らないので、企画を聞いて「こりゃまいったな」と思ったのだが、考えれば考えるほどアイデアが発散するので、ほとんど勢いにまかせて一筆書で書いた。
諸先生方におきましては、そんなのは「確率・統計」を代表する 10 の定理ではない、私ならこう選ぶだろう等々、ご意見が色々と浮かぶことではありましょうが、ご興味のある方は、課題の難しさを想像しながら、おおどかな気持ちで、ご笑覧下さいませ。
「確率・統計」とまとめて言われても、確率論も統計学もそれぞれに広大な分野であり、しかも私は確率論の専門家ではあっても統計学をほとんど知らないので、企画を聞いて「こりゃまいったな」と思ったのだが、考えれば考えるほどアイデアが発散するので、ほとんど勢いにまかせて一筆書で書いた。
諸先生方におきましては、そんなのは「確率・統計」を代表する 10 の定理ではない、私ならこう選ぶだろう等々、ご意見が色々と浮かぶことではありましょうが、ご興味のある方は、課題の難しさを想像しながら、おおどかな気持ちで、ご笑覧下さいませ。
2017年6月27日火曜日
数学を勉強する楽しさ
何の足しにもならない趣味として、平日の毎朝、数ページずつ読んでいた「数理論理学」(鹿島亮/朝倉書店)を今朝、読了した。親切かつ優しい解説で、非常に読み易かったし、直観主義論理やクリプキモデルのところが特に面白かった。
やはり数学は入門のところ、つまり、未知の分野の初歩を勉強するのが一番、面白い。研究が仕事の専門の数学者になると、まだ誰も知らない未踏の荒野を探索するという本格的な楽しさがあるわけだが、ある意味でそれは大人の楽しみというか、トータルでは苦さや辛さや虚しさや自己嫌悪の方が大きいくらいの楽しさである。ピアノって楽しいですかとピアニストに訊くようなもので、そういう問題じゃないのである。しかし、一方、未知の分野に入門するのは子供の、無邪気な、楽しいばっかりの楽しさだ。
「いやあ、面白いことを考えるもんだね、なるほど、こうなるのか、とするとこうなるんだろう、え、そうなのか、なるほどなあ、じゃあこんなことも言えるのか」、なんてやっていれば良いわけで、この段階で自分で導くことなんてずっと昔に誰かが証明済みで、その分野では既知も既知、誰でも知っていることなのだが、それはそれで全然構わないわけだ。面白いから勉強しているだけなので。
明日からは「ベーシック圏論」(T.レンスター著/斎藤恭司監訳・土岡俊介訳/丸善出版)を読む予定。もちろん、圏論のことはほとんど何も知らない。つまり私は「蛇の補題」とかを再発見しちゃうかも知れないわけだ。
やはり数学は入門のところ、つまり、未知の分野の初歩を勉強するのが一番、面白い。研究が仕事の専門の数学者になると、まだ誰も知らない未踏の荒野を探索するという本格的な楽しさがあるわけだが、ある意味でそれは大人の楽しみというか、トータルでは苦さや辛さや虚しさや自己嫌悪の方が大きいくらいの楽しさである。ピアノって楽しいですかとピアニストに訊くようなもので、そういう問題じゃないのである。しかし、一方、未知の分野に入門するのは子供の、無邪気な、楽しいばっかりの楽しさだ。
「いやあ、面白いことを考えるもんだね、なるほど、こうなるのか、とするとこうなるんだろう、え、そうなのか、なるほどなあ、じゃあこんなことも言えるのか」、なんてやっていれば良いわけで、この段階で自分で導くことなんてずっと昔に誰かが証明済みで、その分野では既知も既知、誰でも知っていることなのだが、それはそれで全然構わないわけだ。面白いから勉強しているだけなので。
明日からは「ベーシック圏論」(T.レンスター著/斎藤恭司監訳・土岡俊介訳/丸善出版)を読む予定。もちろん、圏論のことはほとんど何も知らない。つまり私は「蛇の補題」とかを再発見しちゃうかも知れないわけだ。
2017年5月14日日曜日
神楽坂にて諸々記念の宴会
午後は定例のデリバティブ研究所部会自主ゼミ。夕方からの宴会のため、今回は日曜日午後開催。重川「確率解析」。Littlewood-Paley-Stein の不等式の証明のつづきを K 先生が発表。今日は関西から T 先生も上京の他、この分野の大御所 K 岡先生も参加されて大変に充実。流石、K 岡先生は歴史的な背景をふまえた深いコメントをされていた。
夕方より神楽坂のイタリア料理屋にて、I 先生の東京在住一周年の記念、K 先生らの非営利団体設立の記念、ついでに私の隠居も記念していただいての宴会。K 岡先生、T 先生に加え、TK 大の N 先生も宴会から参加。華やかであった。
最後のデザートの選択肢に季節のホワイトアスパラガスの一品があったのだが、ついデザートにアスパラはいかがなものかと保守的に考え、無難にチョコレートを選んでしまったことを今、後悔している。
夕方より神楽坂のイタリア料理屋にて、I 先生の東京在住一周年の記念、K 先生らの非営利団体設立の記念、ついでに私の隠居も記念していただいての宴会。K 岡先生、T 先生に加え、TK 大の N 先生も宴会から参加。華やかであった。
最後のデザートの選択肢に季節のホワイトアスパラガスの一品があったのだが、ついデザートにアスパラはいかがなものかと保守的に考え、無難にチョコレートを選んでしまったことを今、後悔している。
2017年4月29日土曜日
真理採掘
数学的概念を把握する唯一の手段は、それをいくつもの異なるコンテクストの中で見、何ダースもの具体例について考え抜き、直感的な結論を強化するメタファーを最低ふたつか三つ見つけることだ。「ディアスポラ」(G.イーガン著/山岸真訳/ハヤカワ文庫)より
2017年4月22日土曜日
盲亀の浮木
午前中は、定例のデリバティブ研究部会自主ゼミ。メインスピーカの代打として、私が単発もので発表。ガウシアン相関予想を解決した T.Royen の論文を紹介した。解かれてみれば自然なアイデアに思えるが、なかなか思い付き難い一般化が Royen 得意の分野の知識に結びついているので、ある種、「盲亀の浮木」的な出会いものなのでは。
このガウシアン相関予想(Gaussian Correlation Conjecture; GCC)には、二十年ほど前のこと、私の先生が解けたと思って大喜びした途端、間違いが指摘されてがっかりしていた、という思い出がある。その証明はすっかり忘れてしまったが、Royen の証明のポイントがランダム行列を通したラプラス変換表現にあることからして、実はいい線を行っていたのかも知れない。
参加者によるゼミの後のランチは、タイ料理のビュッフェ。発表で喉が乾いた、という理由をつけてシンハービール。タイ料理とビールの相性は最高。
このガウシアン相関予想(Gaussian Correlation Conjecture; GCC)には、二十年ほど前のこと、私の先生が解けたと思って大喜びした途端、間違いが指摘されてがっかりしていた、という思い出がある。その証明はすっかり忘れてしまったが、Royen の証明のポイントがランダム行列を通したラプラス変換表現にあることからして、実はいい線を行っていたのかも知れない。
参加者によるゼミの後のランチは、タイ料理のビュッフェ。発表で喉が乾いた、という理由をつけてシンハービール。タイ料理とビールの相性は最高。
2017年4月8日土曜日
日本橋の桜
定例のデリバティブ研究部会自主ゼミ。予定スピーカの急用のため、代打として A 先生が「確率空間の圏」について話された。数理ファイナンス的な動機から、圏論を確率論に応用する野心的な試みで、なかなか興味深かった。
次回の再来週もメインスピーカが話せないときの保険をかけておこうということになり、一番暇な私が手を上げる。最近、ガウシアン相関不等式(GCI; Gaussian Correlation Inequality)の予想を解決した論文を読んでいるので、その話ならできそうだと思って。
参加者によるゼミ後のランチは洋食屋にてオムライス的な料理。店までの道程は、こんな街中なのに沢山の桜が満開。その下で花見をしている人々までいた。
最近、週末になると名作 SF 長編を読んでいる。今回は「夏への扉」(R.A.ハインライン著/福島正実訳/ハヤカワ文庫)。
次回の再来週もメインスピーカが話せないときの保険をかけておこうということになり、一番暇な私が手を上げる。最近、ガウシアン相関不等式(GCI; Gaussian Correlation Inequality)の予想を解決した論文を読んでいるので、その話ならできそうだと思って。
参加者によるゼミ後のランチは洋食屋にてオムライス的な料理。店までの道程は、こんな街中なのに沢山の桜が満開。その下で花見をしている人々までいた。
最近、週末になると名作 SF 長編を読んでいる。今回は「夏への扉」(R.A.ハインライン著/福島正実訳/ハヤカワ文庫)。
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