そして、このわたしがわが人生に求める栄光のすべてとは、人生を静かに生きたということにほかならない。メトロドロスやアルケシラオスや、アリスティッポスのような生き方ではなくて、自分の流儀によって静かに生きたという栄光だ。というのも、哲学は平安平静に至るための普遍的に有効な道筋を見いだすことはできなかったわけなのだから、各人が、個人的にそれを探さなくてはいけないのである。