百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2018年11月9日金曜日

「吉例顔見世大歌舞伎」

 十一月は顔見世の季節である。と言うわけで、歌舞伎座へ。「吉例顔見世大歌舞伎」夜の部。地下の木挽町広場にはクリスマスツリーなども飾られていて、既に年末の風情。「楼門五三桐」、「文売り」、「隅田川続俤」(法界坊)。「五三桐」は絶景かな絶景かな的に景色を見せるだけの演目だし、「文売り」は舞踊なので、たっぷり三時間弱「法界坊」。

「楼門五三桐」は石川五右衛門に吉右衛門、真柴久吉に菊五郎。この二人はやはり貫禄があるし、絵にもなる。それはさておき、先月も気になったが、この演目も春のものなので季節外れだ。顔見世には相応しい演目かもしれないが、若干興醒め。演出側はあまり舞台の季節を気にしないのだろうか。

「文売り」は雀右衛門。恋文を売り歩く文売りが、二人の傾城が男を争う様子を話し聞かせる、という筋の舞踊劇。清元との掛け合いには、演じられた登場人物がさらに誰かを演じるメタな面白さがあるかも。雀右衛門はどんどん雀右衛門になってきた感じ。もう顔が雀右衛門だし、声も雀右衛門。

「法界坊」は法界坊に猿之助、おくみに尾上右近、要助(実は松若丸)に隼人、野分姫に種之助、道具屋甚三に歌六など。生臭坊主のお茶目な小悪党法界坊の役柄は、猿之助に向いている。全体に猿之助だなあ、の感。例えば、幽霊になった法界坊が宙乗りする必要はさらさらないのだが、兎に角楽しく、わあっと勢いで演じる感じは嫌いでない。とは言え、猿之助の演技の現代的過ぎる部分も、歌六のような歌舞伎らしい芝居ができる配役に囲まれてこそ。やはり古典を支えるのは渋い脇役と地方(じかた)だ。

最後の大喜利として舞踊「双面」。こちらはおくみのドッペルゲンガーと、法界坊と野分姫の合体した霊を猿之助が演じ踊る。右近、隼人の他、渡し守おしづとして雀右衛門も。猿之助は意外に(?)女形が良いし、踊りもうまい。話の筋からすれば法界坊と野分姫が合体する理由がまるで分からないが、歌舞伎はそういうもので、つまり一人でこの演じ分けをするのが面白いわけである。

総体として、夜の部は顔見世と言うよりは猿之助祭りだったが、それはそれで楽しかった。