百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2018年12月26日水曜日

「十二月大歌舞伎」昼の部、千秋楽

先日、夜の部で玉三郎の阿古屋を観たところだが、今年最後の贅沢納めに再び歌舞伎座、昼の部へ。年の瀬で懐も寒いが、老い先短い身の上、これも冥土への土産。酒を一合だけ水筒に詰めて、切子のグラスを持って外出。お弁当は三越地下で買ったばら散らし。

「幸助餅」は上方落語で聴いたことがあるが、お芝居は初めて。松竹新喜劇の演目を歌舞伎化したもので、歌舞伎座で上演されるのは今回初とか。幸助に松也、関取雷に中車など。不覚にもじーんとしてしまった。やはり、年の瀬や水の流れと人の身はではないが、人情の儚さや有り難さが身に沁みてくる季節なのだろうか。

 「於染久松色読販」(お染久松)は壱太郎が、お染と久松の他の色々含め七役を早変わりで演じる。七役ともなるとどうしても、顔が描き分けられない漫画を読んでいる感じになってしまうものだが、歌舞伎らしい趣向として素直に楽しんだ。一人が演じている二役が同時に登場する(ように見える)場面をいかに実現するかに、密室トリックやアリバイ崩しのような趣きがあって面白い。日本の古典芸能にはこんなからくり好きな一面がある。ちょっと連城三紀彦や泡坂妻夫を思い出したり。

ちなみに私はこれまで壱太郎があまり好きでなかった。多分、顔の感じがタイプでないだけだと思う。しかし、今回の舞台はかなり良かった。壱太郎の腕が上がったのか、化粧が変わったのか、私が慣れてきただけなのか分からない。私の好みはさておき、主役を張れる女形に成長していることは確かで、今日などは千秋楽ということもあって「成駒屋かずちゃんオンステージ」の貫禄があった。


2018年12月13日木曜日

「十二月大歌舞伎」玉三郎の「阿古屋」他


いただきものの賀茂鶴と杯を持参し、「今半」のすき焼き重ね弁当を買って、歌舞伎座へ。今月の夜の部は、「壇浦兜軍記(阿古屋)」で阿古屋を玉三郎がつとめるAプロと、梅枝と児太郎がダブルキャストでつとめるBプロに分かれていて、悩ましい。玉三郎の阿古屋は今観ておかねばではあるし、私は児太郎も梅枝も好きな女形なのでそれぞれの初挑戦も観たい。しかし年末で時間にも懐にも制限がある中、日程の許す範囲で一番良い席が取れる日で選んだところが、今日のAプロ。

「壇浦兜軍記」は阿古屋に玉三郎、重忠に彦三郎など。重忠が阿古屋に拷問の代わりに琴、三味線、胡弓を弾かせて心中を見抜こうとする「琴責め」の段。そもそも不自然な設定なのはさておき、役者が三つの楽器を実際に弾く必要はさらさらなく、芝居なのだから弾くふりでよいはずだ。そこを本当に弾いてしまうのが歌舞伎の趣向で、演じる方は大変だが、観る方は面白い。玉三郎の阿古屋はさすが。綺麗なのは勿論だが、歌いながら、地方とあわせながら演奏していても、役者としてがんばってますよ、すごいことやってますよ、と感じさせない。教養豊かで健気で儚げな阿古屋の姿が自然に見えてくるところが素晴しい。ところで、玉三郎は特に胡弓がうまい気がする。

「あんまと泥棒」は泥棒の権太郎に松緑、あんまの秀の市に中車。ラジオドラマの脚本を歌舞伎化したものらしい。落語ならまだしも歌舞伎にする意味があったのかどうか。でも、観る方も気が張る「阿古屋」のあとがこういう気楽な演目なのは、良い塩梅。

Aプロの最後は梅枝と児太郎で「二人藤娘」。この二人の阿古屋は観られなかったが、踊りで共演を堪能。

私はのんびりした昼の部の雰囲気が好きなので、再度、昼の部の歌舞伎座を訪れて芝居納めにしよう、という気持ちと、今日の舞台が良かったからこれで気分良く締めておく、という気持ちの間で揺れ動いている。


2018年12月7日金曜日

登場人物の時間

「あれはもう子供じゃない、好みはもはや変わらないだろう」と言った父のことばで、突然、私は自分が「時間」のなかにいることに気づき、悲しみを感じた。私は、耄碌して養老院に入居したわけではないが、本の最後で作者からとりわけ冷酷さの際立つ無関心な口調で「男はますます田舎を離れなくなり、とうとうそこに住み着いてしまった」などと書かれる人物になったような悲哀を感じたのである。
 『失われた時を求めて 3』(プルースト/吉川一義訳/岩波文庫)より。(第二篇「花咲く乙女たちのかげに」、第一部「スワン夫人をめぐって」)

2018年11月9日金曜日

「吉例顔見世大歌舞伎」

 十一月は顔見世の季節である。と言うわけで、歌舞伎座へ。「吉例顔見世大歌舞伎」夜の部。地下の木挽町広場にはクリスマスツリーなども飾られていて、既に年末の風情。「楼門五三桐」、「文売り」、「隅田川続俤」(法界坊)。「五三桐」は絶景かな絶景かな的に景色を見せるだけの演目だし、「文売り」は舞踊なので、たっぷり三時間弱「法界坊」。

「楼門五三桐」は石川五右衛門に吉右衛門、真柴久吉に菊五郎。この二人はやはり貫禄があるし、絵にもなる。それはさておき、先月も気になったが、この演目も春のものなので季節外れだ。顔見世には相応しい演目かもしれないが、若干興醒め。演出側はあまり舞台の季節を気にしないのだろうか。

「文売り」は雀右衛門。恋文を売り歩く文売りが、二人の傾城が男を争う様子を話し聞かせる、という筋の舞踊劇。清元との掛け合いには、演じられた登場人物がさらに誰かを演じるメタな面白さがあるかも。雀右衛門はどんどん雀右衛門になってきた感じ。もう顔が雀右衛門だし、声も雀右衛門。

「法界坊」は法界坊に猿之助、おくみに尾上右近、要助(実は松若丸)に隼人、野分姫に種之助、道具屋甚三に歌六など。生臭坊主のお茶目な小悪党法界坊の役柄は、猿之助に向いている。全体に猿之助だなあ、の感。例えば、幽霊になった法界坊が宙乗りする必要はさらさらないのだが、兎に角楽しく、わあっと勢いで演じる感じは嫌いでない。とは言え、猿之助の演技の現代的過ぎる部分も、歌六のような歌舞伎らしい芝居ができる配役に囲まれてこそ。やはり古典を支えるのは渋い脇役と地方(じかた)だ。

最後の大喜利として舞踊「双面」。こちらはおくみのドッペルゲンガーと、法界坊と野分姫の合体した霊を猿之助が演じ踊る。右近、隼人の他、渡し守おしづとして雀右衛門も。猿之助は意外に(?)女形が良いし、踊りもうまい。話の筋からすれば法界坊と野分姫が合体する理由がまるで分からないが、歌舞伎はそういうもので、つまり一人でこの演じ分けをするのが面白いわけである。

総体として、夜の部は顔見世と言うよりは猿之助祭りだったが、それはそれで楽しかった。



2018年10月18日木曜日

「芸術祭十月大歌舞伎」昼の部

歌舞伎座の昼の部へ。今月はもちろん夜の部で仁左衛門の助六を観たかったが、(おそらく)助六の演じ納めとのことで満員御礼、もうほぼ席がとれない。しかし、私は落語の「二階ぞめき」の若旦那と同じで、どの役者が好きとかどの芝居がいいとかより、歌舞伎座の雰囲気が全体として好きなので、空いている昼の部の観劇で特に不満はない。

「神雷」純米原酒ひやおろしを一合ほど水筒に詰め、酒器を持って家を出る。三越の地下でお弁当を物色。今年一杯は生誕半世紀フェア実施中だし、老い先短い身の上、思い切って贅沢をしようと、「美濃吉」で三段御重の弁当を買って、足取りも軽く歌舞伎座へ。

「三人吉三巴白浪」は、お嬢吉三に七之助、お坊吉三に巳之助、和尚吉三に獅童と、若々しい配役。私は七之助の声は好きなのだが、黙阿弥の名台詞にはまだまだの感。ここぞ待ってましたのところなので、もっとこってり、たっぷりと、古典的にやっていただきたい。あと、この大川端の場は春にやらないとさすがに興醒めなのでは。

「大江山酒呑童子」は、酒呑童子を勘九郎など。元気良く、またキレも良く踊っていたが、それ以上なのかそれだけなのか、私は踊りが良く分からないので何とも言えない。「佐倉義民伝」は、木内宗吾に白鸚、おさんに七之助、幻の長吉に彌十郎など。白鸚は貫禄。彌十郎が短い出番だが悪人を上手に演じて印象的だった。

帰りにパン屋でクロワサン、花屋で薔薇、スーパーでビールを買って帰宅。



2018年10月4日木曜日

あからさまな情熱

われわれが認識できるのは他人の情熱だけで、われわれ自身の情熱については他人から教わって知りうるにすぎない。情熱がわれわれに作用をおよぼすのは想像力を介した二次的作用で、想像力が、最初の動機の代わりにはるかに慎ましい媒介動機をつくりだすのである。けっしてルグランダンのスノビスムが、頻繁にどこかの公爵夫人に会いに行くよう勧めたわけではない。スノビスムのせいで、ルグランダンの想像力が、その公爵夫人はあらゆる魅力を備えていると想いこんだまでの話である。ルグランダンとしては、公爵夫人と近づきになるのは、下劣なスノッブどもにはわからない才気と美徳の魅力に惹かれたからだと考えたにすぎない。ルグランダンもスノッブの一員だとわかっていたのは、他人だけである。というのも他人は、彼の想像力が果たしている媒介作用が理解できないおかげで、ルグランダンの社交活動とその第一要因を並列して見るからである。
 『失われた時を求めて 1』(プルースト/吉川一義訳/岩波文庫)より。(第一篇「スワン家のほうへ I」、第一部「コンブレー」、二)

2018年9月15日土曜日

半世紀記念の手拭い

今年で五十歳になる。還暦まで生きられるとも限らないし、半世紀はそれなりに区切りだろうと思い、自分勝手に祝うことにして手拭いを作った。

駱賓王の七言古詩「帝京篇」より「且論三萬六千是 / 寧知四十九年非」の対句(と私の名前)が白地に紺で入っている。

訓読と意味は『唐詩選(上)』(前野直彬注解/岩波文庫)によれば、「且(しば)ラク論ゼン、三萬六千ノ是ナルヲ / 寧(いずく)ンゾ知ラン、四十九年ノ非ナルヲ」、「一生三万六千日、ともかくも自分の行為が正しいということにしておこう。五十になって四十九年の誤りを悟ったことなど、おれは知るものか」。春秋時代の衛の大夫、蘧伯玉が五十歳になったときこれまでの四十九年の人生が誤りだったと悟った、という『淮南子』に見える故事を踏まえた句である。

デザインは知り合いにお願いしたし、染めもプリントなので格安にできたが、熨斗紙を別注にしたのが一手間の贅沢。注文ロットの都合で百本も作ってしまったので、日頃お世話になっている方々や、単にお会いした方にもどんどん押し売り、いや、お配りする予定です。

2018年9月10日月曜日

「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部

三越で弁当などを調達して、歌舞伎座へ。「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部。「金閣寺」、「鬼揃紅葉狩」、「河内山」。「金閣寺」は季節外れだが、全体に落ち着いた演目で配役も渋く、それが長月らしい。

「金閣寺」は雪姫に児太郎、大膳に松緑、此下東吉(実は真柴久吉)に梅玉など。私は児太郎の姫役がけっこう好き。「金閣寺」は結局のところ、お姫様が縄で桜の木に縛りつけられ着物の裾を乱して足先で鼠の絵を描く、という場面を成立させるためにお話全部があるようなものなので(偏見?)、好きなタイプの女形が雪姫なら私としてはそれで万事 OK な感じ。ところで、今回の注目は福助の約五年ぶりの舞台復帰。ほんのわずかな時間だが慶寿院尼を演じる場に、大向こうからは次々に声がかかり、観客からも拍手が送られていた。

「紅葉狩」は更科の前(実は戸隠山の鬼女)に幸四郎、平維茂に錦之助など。松羽目に描かれた紅葉に秋を感じる。三演目の二つ目が踊りの構成はいいね。

黙阿弥の「河内山」は河内山宗俊に吉右衛門、松江出雲守に幸四郎など。やはり黙阿弥は台詞がいい。吉右衛門は安心して観られる安定感。ところで、昼の部、幸四郎は出ずっぱりだ(相変わらず幸四郎の名前に慣れないが)。

重陽の節供なので、菊花酒。


2018年8月20日月曜日

「八月納涼歌舞伎」第一部

夏と言ってもどこかにヴァカンスに行くわけでもなく、自宅にひきこもりの毎日なので、暑さの隙をついて歌舞伎を観に行く。三越の地下でばらちらしを買い、歌舞伎座へ。「八月納涼歌舞伎」第一部。「花魁草」、「龍虎」、新作「心中月夜星野屋」。

 「花魁草」はお蝶に扇雀、幸太郎に獅童など。扇雀は哀れな年増の情感をうまく演じていたような。

「龍虎」は幸四郎と染五郎。踊りはよくわからないが、息はあっていたのでは。それはさておき、いまだにこの二人の名前に慣れない。

「心中月夜星野屋」は小佐田定雄の脚本による新作歌舞伎。星野屋照蔵に中車、おたかに七之助、その母お熊に獅童。肩の凝らない世話狂言で、落語か俳優祭のような楽しい雰囲気。それぞれの役に、現代的で芸達者な俳優たちが全員ぴたっとはまっていて、気分良く笑える良い舞台だった。脚本も面白いが、配役でなお成功した感じ。

「納涼歌舞伎」は三部制なので、時間が短かく見疲れないのが良い。しかし、歌舞伎は観る側もあれこれ準備して、一日がかりで観劇するところが楽しさの肝でもある。個人的には基本は二部制で、たまに三部制くらいがいいかなあ。


2018年8月7日火曜日

文法と論理学

「私は常に文法や論理学を擁護する人たちを尊敬してきました。五十年後になったら分かるのです。そうした人たちが大いなる危険を回避してくれたことが。」
「失われた時を求めて」(M. プルースト著/鈴木道彦訳/集英社文庫)、第 12 巻(第七篇「見出された時」)よりシャルリュス男爵の言葉

2018年8月6日月曜日

ヴェルデュラン夫人とクロワッサン

彼女は、新聞がルシタニア号の遭難を報じた日の朝、久々にその最初のクロワッサンにありついた。カフェ・オ・レにクロワッサンをひたしながら、そして手をパンから離すまでもなく、もう一方の手で新聞を大きく広げられるように軽く新聞をはじきながら、彼女は言うのだった。「なんて恐ろしい! どんなにむごい悲劇だって、こんなに恐ろしいことなんかありゃしないわ」。しかしこれらすべての溺死者たちの死も、彼女には十億分の一に縮小されて見えたにちがいない。なぜなら、口いっぱいに頬張りながらそのように悲しい考察をしたときに、彼女の顔に浮かんだのは、おそらく偏頭痛を鎮めるためにたいそう有効なクロワッサンの味に引き寄せられたのだろう、むしろ穏やかな満足の表情だったからだ。
「失われた時を求めて」(M. プルースト著/鈴木道彦訳/集英社文庫)、第 12 巻(第七篇「見出された時」)より

愚かさと情熱

どこの国でも一番数が多いのは愚か者である。もし彼がドイツに住んでいたら、愚かにも情熱をこめて不正な立場を擁護するドイツの愚か者たちにすっかりいらいらしたことは、疑いの余地がない。けれどもフランスに住んでいたので、愚かにも情熱をこめて正しい立場を擁護するフランスの愚か者たちが、やはり彼をいらだたせた。情熱の論理は、たとえ最も正当な権利に奉仕する場合でも、情熱にかられない人にとってはけっして反駁できないものではない。シャルリュス氏は愛国者たちの誤まった理屈を、一つひとつ巧妙に指摘した。正当な権利にすっかり満足している間抜けな者や、成功を確信している者は、とくに人をいらいらさせる。
「失われた時を求めて」(M. プルースト著/鈴木道彦訳/集英社文庫)、第 12 巻(第七篇「見出された時」)より

2018年8月1日水曜日

若さの幻想

以前から私は、仕事をしたい、失われた時をとりもどしたい、生活を変えたい、というよりむしろ本当の生活を始めたい、と考えていたが、そうした気持が続いているために、自分が以前と同じように若いのだという幻想を持っていた。
「失われた時を求めて」(M. プルースト著/鈴木道彦訳/集英社文庫)、第 11 巻(第六篇「逃げ去る女」)より

2018年7月28日土曜日

隠棲

一定の年齢に達したら、人間は名前を変えて、どこか目立たぬ一隅に隠れ住むべきである。誰とも面識がなく、友人や敵に再会する危険もまたなく、仕事に飽き疲れた悪人のようにして、安らかな生涯を終えられる場所に。
「生誕の災厄」(E.M.シオラン著/出口裕弘訳/紀伊國屋書店)より

2018年6月23日土曜日

田舎の流儀

田舎では昔、枕を使って老人を窒息させたものだという。賢明な処置であり、各家庭がそうした流儀に磨きをかけていた。老人たちを寄せ集め、柵のなかに閉じこめ、退屈を救ってやったあげく痴呆状態に追いこむのよりは、はるかに人間らしい手立てではないか。
「生誕の災厄」(E.M.シオラン著/出口裕弘訳/紀伊國屋書店)より

2018年6月14日木曜日

「六月大歌舞伎」夜の部

三越の地下でだし巻き卵と弁当をあつらえ、日本酒一合を買い求めてから、歌舞伎座へ。「六月大歌舞伎」の夜の部を觀劇。「夏祭浪花鑑」と「巷談宵宮雨」という夏らしい演目。

「夏祭浪花鑑」は団七に吉右衛門、お辰に雀右衛門など。美貌のお辰が鉄弓で自分の顔を焼く心意気が見せ場の一つだが、あっさり気味。この演目の目玉である祭の賑いと交錯する凄惨な殺しの場面は、流石に吉右衛門の貫禄だった。

「巷談宵宮雨」は龍達に芝翫、虎鰒の太十に松緑、おいちに雀右衛門など。私には「夏祭」よりこちらの方が面白かった。「巷談宵宮雨」は昭和初期、六代目菊五郎のために宇野信夫が書いて大当たりしたことで有名な怪談話。二十四年ぶりの上演とのこと。怪談は笑いのスパイスで怖さが引き立つものだが、今回の演出はやや笑いが前面に出ていたかも知れない。芝翫と松緑のやりとりの可笑しさが抜群で、芝翫はこういう方面の才能があるなあと思った。やはり歌舞伎座で観る怪談は良いね。


2018年6月12日火曜日

幸福を感じること

また、それ(幸福)が不完全なのは幸福を感じる者が悪いので、幸福を与える者のせいではないのだけれども、アルベルチーヌはまだそんなことに気がつかない年齢だったから(その年齢を越えられない人たちもいるものだ)、……
「失われた時を求めて」(M. プルースト著/鈴木道彦訳/集英社文庫)、第 8 巻(第四篇「ソドムとゴモラ II」)より

2018年6月4日月曜日

親切と育ちの良さ

「でも、あなたはわたしたちと対等です。たとえそれ以上ではないとしても」とゲルマント夫妻は、そのすべての行動によって告げているように見えた。しかも彼らはそのことを、考えられる限り最もやさしい口調で言う。それは自分たちが好かれ、賞讃されるためであって、その言葉をそのまま信じてもらうためではない。この親切さの虚構の性格をわきまえること、それこそ彼らが、育ちがよいと呼ぶところのものだった。一方、この親切をそっくり真実と思うのは、育ちが悪いのである。
「失われた時を求めて」(M. プルースト著/鈴木道彦訳/集英社文庫)、第 7 巻(第四篇「ソドムとゴモラ I」)より

2018年5月23日水曜日

数学と技術

そこで、わたしは仕事にとりかかったが、ここでいっておかねばならないのは、理性が数学の実質であり根源であるから、あらゆることを理性によって整え、正し、ものごとをもっとも合理的に判断すれば、だれでもすべての機械技術を身につけることができる、ということである。 
「完訳 ロビンソン・クルーソー」(D.デフォー著/増田義郎訳/中公文庫)、「七 生活の設計」より

2018年5月10日木曜日

團菊祭五月大歌舞伎:七十五歳の弁天小僧

新聞をすみずみまで読むのにも飽きたので、枝豆と缶ビールを持参し、三越の地下でお弁当を調達してから、歌舞伎座の夜の部へ。夕方からは晴れて、少しひんやりとする爽やかな日和。

今月は昼の部の、海老蔵が五役勤める「鳴神(雷神不動北山櫻)」が大人気のようだが、私はあえて夜の部で。「弁天娘女男白浪」、「鬼一法眼三略巻」、「喜撰」。

目当ては「弁天娘女男白浪」。やはり春には黙阿弥の五七調の台詞を聞くのが気分がよろしい。弁天小僧を菊五郎で。菊五郎は七十五歳だそうだが、それが十六七の「男の娘(おとこのこ)」の役をするわけだから、歌舞伎とは大したものだ。見ための綺麗さだけを言えば無理なところもある。しかし、お約束の名台詞の切れの良さは菊五郎ならではだし、左團次演じる南郷力丸とのかけあいなどは抜群の安定感。

「鬼一法眼三略巻」は智恵内実は鬼三太に松緑、虎蔵実は牛若丸に時蔵、皆鶴姫に児太郎など。小さくまとまった感はあるものの、安心して観ていられた。ちなみに私は児太郎のお姫様役が好きだ。

「喜撰」は喜撰法師に菊之助、お梶に時蔵など。舞踊はよくわからないなあ、といつも思っているのだが、菊之助は動きが軽妙で、型がぴたりぴたりと決まっていたし、時蔵の女形も好きなので、なかなか楽しかった。私が舞踊がわかってきたのか、特に舞台の出来が良かったのか、あるいは勘違いなのかは謎。



2018年4月24日火曜日

プルースト、三十歳の自己評価

「楽しみも目標もなく、活動も野心もなく、この先の人生はすでに終わったも同然で、自分が両親に味わわせている悲しみに気づいている僕には、わずかな幸福しかない」
プルースト、三十歳の自己評価。「プルーストによる人生改善法」(A.ド・ボトン著/畔柳和代訳/白水社)より

2018年4月13日金曜日

メグレ警視とデュマ

病気のとき、メグレはアレクサンドル・デュマの小説に読み耽るのが習慣だった。そのため、黄色い頁にロマンチックなさし絵の入った古い廉価版のデュマ全集をもっていた。これらの本が発散する匂いは、なににもまして、メグレに、これまでかかったあらゆる軽い病気のことを思い起こさせるのだ。……
「メグレと殺人者たち」(G.シムノン著/長島良三訳/河出文庫)より

2018年4月5日木曜日

「四月大歌舞伎」、仁左衛門一世一代「絵本合法衢」

随分と久しぶりにスーツとネクタイ。春の行楽らしく稲荷寿司のお弁当を調えて、歌舞伎座の夜の部へ。鶴屋南北作「絵本合法衢」を観劇。仁左衛門が「一世一代にて相勤め申し候」、つまり、この役の演じ納めで、これは観ておかねばと。実は歌舞伎座初演でもあるらしい。

左枝大学之助と太平次の二役を仁左衛門、高橋瀬左衛門と弥十郎の二役を彌十郎、うんざりお松と弥十郎妻皐月の二役を時蔵、与兵衛を錦之助、お亀を孝太郎など。もちろん見所は、二人の悪役を二役で演じる仁左衛門である。仁左衛門はちょっと剽軽で上品な役、上等に出来ている人間の役が似合う、と私は思っているのだが、もちろん悪役を演じてもうまい。それに実年齢を考えると、驚異的に若い。

この「絵本合法衢」の南北原作を良く知らないのだが、舞台で観ている限り、やたらに人を殺す悪いやつが悪いまま最期まで悪いというだけで、あまり深みを感じない。真正面からいかに悪を演じ切るかが焦点の演目なのだろうか。

2018年3月24日土曜日

終着点

単なる遊びや暇つぶしで、女神ムーサイを用いるなど、女神の品位を落とすことだと、わたしにいう人がいるけれど、そのような人間は、わたしとはちがって、快楽、遊戯、暇つぶしが、どれほど価値があるかわかっていないのだ。というか、わたしなど、それ以外の目的こそ笑止千万と、今にも口から出かかっている。わたしは、その日その日を生きているのであり、こう申してはなんだけれど、もっぱら自分のために生きている。わが計画は、そこが終着点なのである。若い頃のわたしは、自分を誇示するために勉強したが、その後は、少しばかり自分を賢くするために勉強した。そしていまは、楽しみのために学んでいるのであって、けっしてなにかを得ようとするためではない。わたしの欲求を満たすためだけではなしに、そこから何歩か進んで、それで壁面を飾り立てようというもくろみから、このような種類の家具[書物のこと]に対して、なんと空しくて、金のかかる思いを抱いてしまったことか。でも、このような気持ちは、ずいぶん前に捨ててしまった。
モンテーニュ「エセー」第 3 巻、第 3 章、「三つの交際について」より(「エセー 6」(宮下志郎訳/白水社)に所収)

2018年3月17日土曜日

水時計

われわれは毎日死んでいるということです。つまり毎日毎日生命の一部分は取り去られているのです。われわれが成長しているときでさえも、生命は減少しています。われわれはまず幼児期を、次に少年期を、次には青年期を失っているのです。昨日に至るまで、経過した時はいずれもみな消滅しました。いや、現にわれわれが過ごしている今日でさえも、われわれはそれを死と分け合っています。水時計の水を空にするのは最後の一滴ではなく、その前に流れ出たすべてです。
「セネカ 道徳書簡集」(茂手木元蔵訳/東海大学出版会)、第二十四より

2018年3月15日木曜日

「三月大歌舞伎」

冷酒一合ほどを水筒に詰め、三越で蛸とセロリのマリネとばらちらしを調達し、歌舞伎座へ。夜の部を観劇。

「於染久松色読販」はお六と喜兵衛に玉三郎と仁左衛門。こういうはすっぱな感じも意外に似合うお二人である。「神田祭」も玉三郎と仁左衛門。二人とも今に残る真の花であるから、今見ておくべきものかと。「滝の白糸」は滝の白糸に壱太郎、村越欣弥に松也。松也が力演。こういう直情的で単純な役柄が似合う。

「滝の白糸」は玉三郎のお気に入りらしく、今まで 5 度自分で演じ、今回は演出。普通は新派なので、歌舞伎座では 1981 年以来の珍しい演目だそうだ。鏡花原作と言っても、確か師匠の尾崎紅葉との合作の初期作品だったはずで、そのせいか、講談調というか、メロドラマ的というか、そのあたりが芝居向きである。


2018年2月11日日曜日

「二月大歌舞伎」

歌舞伎座で夜の部「二月大歌舞伎」。白鸚、幸四郎、染五郎の三重襲名記念。私も生誕半世紀の年なのでお大尽感を演出して、お弁当は三越地下で握り鮨を誂え、シャンパーニュのハーフボトルを持ち込み。

「熊谷陣屋」は熊谷次郎直実に新幸四郎。まだまだ軽いかなあ……と思ったが、それが襲名披露というものなので。「壽三代歌舞伎賑」は両花道に大勢が登場し、歌舞伎座前の賑の描写から襲名口上に移る、お目出度い一幕。

忠臣蔵七段目「一力茶屋の場」は由良之助に新白鸚、力弥に新染五郎。新染五郎は初々し過ぎて、力弥としてもどうかなあ……と思ったが、それが襲名披露というものなので。

お軽と寺岡平右衛門には華やかなダブルキャストで、偶数日が菊之助と海老蔵、奇数日が玉三郎と仁左衛門。私が見た日は菊之助/海老蔵だったが、丁度いい御馳走感。おそらく玉三郎/仁左衛門を観たいお客の方が多いとは思うが、ちょっと贅沢過ぎてアンバランスでは、と想像。

とにかく華やかで縁起の良い夜の部でした。ところで、祝幕がまさかの草間彌生。どうしてそうなった。

 

2018年1月25日木曜日

嵐の海

大海で風が波を掻き立てている時,陸の上から他人の苦労をながめているのは面白い.他人が困っているのが面白い楽しみだと云うわけではなく,自分はこのような不幸に遭っているのではないと自覚することが楽しいからである.野にくりひろげられる戦争の,大合戦を自分がその危険に関与せずに,見るのは楽しい.とはいえ,何ものにも増して楽しいことは,賢者の学問を以て築き固められた平穏な殿堂にこもって,高処から人を見下し,彼らが人生の途を求めてさまよい,あちらこちらと踏み迷っているのを眺めていられることである — 才を競い,身分の上位を争い,日夜甚しい辛苦をつくし,富の頂上を極めんものと,又権力を占めんものと,齷齪するのを眺めていられることである.
おお 憐む可き人の心よ,おお 盲目なる精神よ!此の如何にも短い一生が,なんたる人生の暗黒の中に,何と大きな危険の中に,過ごされていくことだろう!
「物の本質について」(ルクレーティウス著/樋口勝彦訳/岩波文庫)より

2018年1月17日水曜日

池田先生のこと

昨日 1 月 16 日に池田信行先生がご逝去されたことを確率論メイリングリストで知る。

池田先生は伊藤清先生のすぐ下の世代で、日本の確率論の初期を代表する方だったと思う。今では日本の確率論は非常に大きな勢力となって、細分したグループそれぞれが既にかなりのサイズなので、確率論全体を一つにまとめるような方を思い浮かべることは難しい。池田先生は親分肌でもあり、そういう日本の確率論全体のリーダーだった。

私が池田先生の名前を知ったのは大学院生の頃で、もちろん、確率論を真面目に勉強しようとすると、当然 ``Ikeda-Watanabe" の名前を知るのである。私も修士の一年で読み始めた教科書がこれだった。私の指導教官は高橋陽一郎先生だったが、高橋先生は池田先生と親しく、また尊敬もされていたようである。例えば、Mark Kac の数学に強い興味を持っていたことや、数学のスタイルなど、今になって思えば、かなりの影響を受けていたと思う。

やはり院生のとき、池田先生の研究ノートのコピーを私がゼミで読むことになった。しかし、私の準備がまるで不満足なものだったので、高橋先生から「君には池田先生のノートを読む資格はない」と強く叱責されたことは、今思い出しても身の縮むような、また辛い記憶である。

そののち、学位をとってから立命館大学に就職して、池田先生とは同僚の関係になった。数学そのものについては、生焼けで失敗作の共著論文を一本書かせていただいただけで、私自身の非力と不真面目を後悔するしかない。しかし、日本の確率論発展の初期の頃の様々なエピソードなど、あれこれと身近に教えていただいたことは、ありがたくも貴重なことであった。

池田先生はその頃から数年で退職され、私もそのあとまた数年で大学を辞めたので、すっかり疎遠になっていた(池田先生は私の辞職にかなりご不興だったと聞く)。しかし、学会に顔を出されていたなどと人伝に聞いては、ご健勝ぶりを喜んでいたものであった。かなりの御年だったので大往生のはずと信じるが、寂しいことである。

2018年1月10日水曜日

初芝居は「黒蜥蜴」

日生劇場に「黒蜥蜴」を観に行く。少し早く到着したので、日比谷公園へ。おお、これが瑞兆を報せて歌を歌うと噂の、鶴の噴水かァ。そしてこの地下には神田上水の大伏樋のラビリンスが広がっているのだなあなどと思いつつ、公園を散策してから、劇場へ。

「黒蜥蜴」はもちろん江戸川乱歩原作、三島由紀夫脚本。今回は中谷美紀/井上芳雄主演、D.ルヴォー演出。やはり三島由紀夫の台詞はいい。

中谷美紀さんは綺麗で妖しげな雰囲気が黒蜥蜴らしくて良いし、熱演だったが、演劇の舞台では魅力全開とまでは行かなかったか。黒蜥蜴は誰が演じても、若い頃の美輪明宏さんと比較されてしまうので難しそう(とは言え、私の黒蜥蜴イメージは昔 TV ドラマで演じていた島田陽子さんだが)。

 演出や舞台装置は効率良くシャープで現代的、一言で言えば "neat" 。私は普段、歌舞伎ばかり観ているので、もっと大仰でもいいのに、とは思った。例えば、「このやさしい、二の腕の、黒蜥蜴を!」あたりで、チョーンと柝の音が入って明転してもいいくらい(笑)。

でも、長い時間を全く飽きずに観られたし、良い舞台だったと思う。幕後は観客みな standing ovation。今日はオマケに終演後、D.ルヴォーの「マスタークラス」と称するインタビュー企画もあってお得だった。