百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2018年4月5日木曜日

「四月大歌舞伎」、仁左衛門一世一代「絵本合法衢」

随分と久しぶりにスーツとネクタイ。春の行楽らしく稲荷寿司のお弁当を調えて、歌舞伎座の夜の部へ。鶴屋南北作「絵本合法衢」を観劇。仁左衛門が「一世一代にて相勤め申し候」、つまり、この役の演じ納めで、これは観ておかねばと。実は歌舞伎座初演でもあるらしい。

左枝大学之助と太平次の二役を仁左衛門、高橋瀬左衛門と弥十郎の二役を彌十郎、うんざりお松と弥十郎妻皐月の二役を時蔵、与兵衛を錦之助、お亀を孝太郎など。もちろん見所は、二人の悪役を二役で演じる仁左衛門である。仁左衛門はちょっと剽軽で上品な役、上等に出来ている人間の役が似合う、と私は思っているのだが、もちろん悪役を演じてもうまい。それに実年齢を考えると、驚異的に若い。

この「絵本合法衢」の南北原作を良く知らないのだが、舞台で観ている限り、やたらに人を殺す悪いやつが悪いまま最期まで悪いというだけで、あまり深みを感じない。真正面からいかに悪を演じ切るかが焦点の演目なのだろうか。