百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2018年6月23日土曜日

田舎の流儀

田舎では昔、枕を使って老人を窒息させたものだという。賢明な処置であり、各家庭がそうした流儀に磨きをかけていた。老人たちを寄せ集め、柵のなかに閉じこめ、退屈を救ってやったあげく痴呆状態に追いこむのよりは、はるかに人間らしい手立てではないか。
「生誕の災厄」(E.M.シオラン著/出口裕弘訳/紀伊國屋書店)より

2018年6月14日木曜日

「六月大歌舞伎」夜の部

三越の地下でだし巻き卵と弁当をあつらえ、日本酒一合を買い求めてから、歌舞伎座へ。「六月大歌舞伎」の夜の部を觀劇。「夏祭浪花鑑」と「巷談宵宮雨」という夏らしい演目。

「夏祭浪花鑑」は団七に吉右衛門、お辰に雀右衛門など。美貌のお辰が鉄弓で自分の顔を焼く心意気が見せ場の一つだが、あっさり気味。この演目の目玉である祭の賑いと交錯する凄惨な殺しの場面は、流石に吉右衛門の貫禄だった。

「巷談宵宮雨」は龍達に芝翫、虎鰒の太十に松緑、おいちに雀右衛門など。私には「夏祭」よりこちらの方が面白かった。「巷談宵宮雨」は昭和初期、六代目菊五郎のために宇野信夫が書いて大当たりしたことで有名な怪談話。二十四年ぶりの上演とのこと。怪談は笑いのスパイスで怖さが引き立つものだが、今回の演出はやや笑いが前面に出ていたかも知れない。芝翫と松緑のやりとりの可笑しさが抜群で、芝翫はこういう方面の才能があるなあと思った。やはり歌舞伎座で観る怪談は良いね。


2018年6月12日火曜日

幸福を感じること

また、それ(幸福)が不完全なのは幸福を感じる者が悪いので、幸福を与える者のせいではないのだけれども、アルベルチーヌはまだそんなことに気がつかない年齢だったから(その年齢を越えられない人たちもいるものだ)、……
「失われた時を求めて」(M. プルースト著/鈴木道彦訳/集英社文庫)、第 8 巻(第四篇「ソドムとゴモラ II」)より

2018年6月4日月曜日

親切と育ちの良さ

「でも、あなたはわたしたちと対等です。たとえそれ以上ではないとしても」とゲルマント夫妻は、そのすべての行動によって告げているように見えた。しかも彼らはそのことを、考えられる限り最もやさしい口調で言う。それは自分たちが好かれ、賞讃されるためであって、その言葉をそのまま信じてもらうためではない。この親切さの虚構の性格をわきまえること、それこそ彼らが、育ちがよいと呼ぶところのものだった。一方、この親切をそっくり真実と思うのは、育ちが悪いのである。
「失われた時を求めて」(M. プルースト著/鈴木道彦訳/集英社文庫)、第 7 巻(第四篇「ソドムとゴモラ I」)より