百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2018年6月4日月曜日

親切と育ちの良さ

「でも、あなたはわたしたちと対等です。たとえそれ以上ではないとしても」とゲルマント夫妻は、そのすべての行動によって告げているように見えた。しかも彼らはそのことを、考えられる限り最もやさしい口調で言う。それは自分たちが好かれ、賞讃されるためであって、その言葉をそのまま信じてもらうためではない。この親切さの虚構の性格をわきまえること、それこそ彼らが、育ちがよいと呼ぶところのものだった。一方、この親切をそっくり真実と思うのは、育ちが悪いのである。
「失われた時を求めて」(M. プルースト著/鈴木道彦訳/集英社文庫)、第 7 巻(第四篇「ソドムとゴモラ I」)より