百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2020年10月2日金曜日

「十月大歌舞伎」第一部「京人形」

秋晴れの今日、歌舞伎座へ。二月以来の久しぶり。「十月大歌舞伎」初日、第一部「京人形」。左甚五郎に芝翫。京人形の七之助は相変わらず綺麗。最近、七之助の声が好きになってきたので、役柄上、声が聞けなかったのは残念。

半年以上ぶりに生で歌舞伎が観られて良かったが、やはり歌舞伎座では半日くらいゆっくりと飲み食べしながら過したいものではある。特に今回の第一部は公演時間が 40 分弱ほどしかなかったため、あまりにあっけなく、却ってその気持ちが強くなった。

歌舞伎座の感染対策は徹底していて、家にいるより安全だなと思うくらい。売店はほぼ全部閉まっているし、桟敷席はなし、それ以外の席も半分以下に間引いている。人が交わらないように、客も出演者も各部毎に完全入れ替えで、一幕だけだから幕間というものもない。劇場に入って、まばらな客席に行き、黙って座って観劇して、順に静かに退席して、劇場から出るのみ。おそらく、演劇界のみならず広く娯楽業界全体の中でも、圧倒的な優等生だろう。

しかし、おかげで歌舞伎座ならではの良さが失われているわけで、徐々にでも歌舞伎座らしい歌舞伎座に戻って行ってほしいものだ。また噂に聞く話では、慎重に制限を緩めていくようであるし、歌舞伎座が少しずつでも元気になっていくことを楽しみにしたい。


2020年2月18日火曜日

「二月大歌舞伎」夜の部

 昨日の午後はほがらかな陽気だったので、思い立って歌舞伎座の夜の部に行く。魔法瓶に入れた冷酒と、近所で買った太巻に柚子入りの稲荷寿司など。今月は十三世仁左衛門の二十七回忌追善狂言。昼の部は今の仁左衛門の「菅原伝授手習鑑」だし、また、このご時世だからだろうか、夜の部はかなり空いていた。

「八陣守護城」湖水御座船の場は、正清に我當など。かつて十三世仁左衛門が九十歳でこの正清をつとめたそうで、そのゆかり。確かにほとんど動きのない役だし、我當も相当のお歳だが、立派な舞台だった。

「羽衣」は玉三郎と勘九郎。私は踊りがよくわからないので、舞踊を観るときは「まだやっているのか」と時間が経つのを遅く感じることさえあるが、玉三郎は見惚れている間に時が過ぎる。

「文七元結」は長兵衛に菊五郎、女房お兼に雀右衛門、角海老のお駒に時蔵、文七に梅枝など。落語でお馴染の人情話。時蔵が吉原の女将らしく、その語りもしんみりしていて、いい雰囲気だった。本来、年の瀬のお話だが、おめでたくありがたい。

「道行故郷の初雪」は忠兵衛に梅玉と梅川に秀太郎、万才に松緑。秀太郎は十三世仁左衛門の忠兵衛を相手にしばしば梅川を演じたそうで、そのゆかりの追善狂言。封印切りの忠兵衛と梅川の道行き、途中で偶然出会った万才が鼓を持って二人に踊りを見せるのが、ちょっと不思議な感じで歌舞伎らしい。




2020年1月27日月曜日

作品番号3「これはパイプではない」

第3作のテーマは「文字」の編み込み。マグリットの「イメージの裏切り」をデザイン化して、パイプの絵の部分を前身頃に、"Ceci n'est pas une pipe" の文章を袖に入れてみた。後身頃は無地だが、ベージュ、焦げ茶、黒、水色の横縞模様。毛糸は並太アクリル、6 色使用。特に気を使ったのは、文字フォントのデザイン。オリジナルの筆記体的な文字を粗い目でもなんとか再現することを目指した。

次は、もっと目を細かくして本格的な絵に見えるような編み込みに向かうか、もしくは、ほとんど無地でも丁寧に編んでセーターとしての品質向上を目指すか、どちらかを考えたい。

2020年1月6日月曜日

「壽 初春大歌舞伎」夜の部

天気も良いことだし、年末年始の贅沢を締め括って初芝居と行こう。自作のマカロニサラダと白ワインを持参して歌舞伎座へ。五斗三番叟、連獅子、三島由紀夫の「鰯賣戀曳網」という新春に相応しくおめでたい尽しの夜の部。

「義経腰越状」は五斗兵衛盛次に白鸚。義経がらみのストーリィがあるとは言え要は、五斗兵衛が大酒を飲んでハチャメチャな三番叟を舞い踊るという、それだけの一幕。歌舞伎らしくめでたい。弾むような三味線の音が良かった。

続いて「連獅子」。歌舞伎舞踊と言えば連獅子の毛振り。戸板康二の『歌舞伎への招待』(岩波現代文庫)によれば、これを「狂う」と言うのだそうで、獅子の野獣的な動きを形容する動詞だとか。親獅子の猿之助と仔獅子の團子は息がぴったり。特に團子は振りが大きくてキレが良く、踊りのわからない私にも恰好良く見えた。

「鰯賣戀曳網」は鰯売りの猿源氏に勘九郎、傾城蛍火に七之助。三島由紀夫のダークサイドが隠されて、明るさとユーモアだけが花開いた、屈託のない大らかな作品。まさに喜劇はかくありたい。つまり、日本人がまだ愚かさという徳を持っていた頃を偲ばせるものでありたい。三島由紀夫の天才的な美意識の高さ、手先の器用さ、古典理解の深さがあってこそ可能だったわけだが、今の小賢しいだけの我々にはもう不可能なのかもしれない。若々しく姿の良い勘九郎と七之助がこの演目向き。お正月らしい良い舞台だった。