百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2019年11月14日木曜日

吉例顔見世大歌舞伎

 十一月は顔見世の季節。今月だけの櫓が出る。冷酒を一合ほど魔法瓶に詰めて、歌舞伎座へ。「 吉例顔見世大歌舞伎」昼の部。「研辰の討たれ」、「関三奴」、「梅雨小袖昔八丈」いわゆる髪結新三。

「研辰の討たれ」は研辰こと守山辰次に幸四郎、平井九市郎と才次郎の兄弟に彦三郎と亀蔵など。大正時代に作られたもので、「近代的な感覚にあふれた異色の敵討劇」とのことだが、今から見れば異色と言うよりむしろ怪作では。面白おかしくは演じられても、一体どういう性根でこの研辰を演じるものなのか謎だ。

「関三奴」は芝翫と松緑。私は踊りはよくわからないのだが、酒を飲みながら、三味線や鳴り物の音を聞きながら、舞踊を見るのは好き。

「髪結新三」は新三に菊五郎、家主長兵衛に左團次、手代忠七に時蔵、弥太五郎源七に團蔵など。左團次が長兵衛にぴったり。「お前もわからねえ野郎だなあ。十両と五両で十五両、鰹は半分もらったよ」の繰り返しが妙におかしいし、菊五郎の新三を上から睨みつける気迫もいい。