百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年10月26日木曜日

鈴本演芸場十月下席

良い天気なので、水筒にお茶を詰め、散歩がてら近所で散らし寿司を買ってから、鈴本演芸場へ。

蜃気楼龍玉さんの「親子酒」の酒好きぶりが印象的だった。酒をいかにも旨そうに飲む(ふりをする)のが、私の好きな噺家の条件の一つだ。

粋曲の柳家小菊さんは「きんらい節」から入って、都々逸や小唄など。粋だなあ。前に小円歌さんが三味線漫談で「こんな芸者呼んだら 2,800 円どころじゃすまないんだからぁ」と言っていたが、小菊さんはまさにそういう感じ。隠居の身で芸者遊びをするわけにはいかないので、演芸場でこういう文化を気軽に味わえるのは貴重だ。そう言えば、小円歌さんは立花家橘之助二代目を襲名予定らしい。

主任(トリ)は白酒師匠の「井戸の茶碗」。正直者しか出てこない話を気持ち良く聞く。白酒さんは名人上手という感じではないが、いつも細部のアレンジが抜群に面白い。私にとっては今、一番笑える噺家かも知れない。

その後は、蕎麦屋で天せいろと熱燗一合。

2017年10月21日土曜日

自由の人と死

定理六七 自由の人は何についてよりも死について思惟することが最も少ない。そして彼の智恵は死についての省察ではなくて、生についての省察である。
証明 自由の人すなわち理性の指図のみに従って生活する人は、死に対する恐怖に支配されない(この部の定理六三により)。むしろ彼は直接に善を欲する(同定理の系により)。言いかえれば彼は(この部の定理二四により)自己自身の利益を求める原則に基づいて、行動し、生活し、自己の有を維持しようと欲する。したがって彼は何についてよりも死について思惟することが最も少なく、彼の智恵は生についての省察である。Q.E.D.
スピノザ「エチカ」(畠中尚志訳/岩波文庫)、第四部「人間の隷属あるいは感情の力について」より

2017年10月12日木曜日

二つの人生

私たちには誰でも二つの人生がある。
真の人生は、子供のころ夢見ていたもの。
大人になっても、霧の中で見つづけているもの。
偽の人生は、他の人びとと共有するもの。
実用生活、役に立つ暮らし。
棺桶の中で終わる生。
フェルナンド・ペソア「[新編] 不穏の書、断章」 (澤田直訳/平凡社ライブラリー)より

2017年10月5日木曜日

芸術祭十月大歌舞伎「マハーバーラタ戦記」

まさか「マハーバーラタ」を歌舞伎座で観る日がやって来ようとは。

百貨店の地下のサンドウィッチリーで幕間の昼食を調達して、歌舞伎座へ。今月の昼の部は「極付印度伝マハーバーラタ戦記」。なんとインドの古典、叙事詩「マハーバーラタ」の歌舞伎化である。日本を舞台に翻訳してあるのかな、と思ったら、案外そのまま「マハーバーラタ」。筋も意外に忠実で、「バガヴァッド・ギーター」に対応すると思しき場面もあった。

しかし「新歌舞伎」ではあり、(和風の)腰元が花を撒く後ろを(和風の)お姫様を乗せた象がついていく、みたいな歌舞伎&インド折衷のすごい世界が展開される。音楽も舞台装置も効果も照明も相当インド風(?)にがんばったので、役者さん以外も大変だったろうな……と、裏方の苦労が思いやられた。ついでに言えば、大向こうさんたちがいつものように「音羽屋!」などと声をかけるのも変な感じで、声をかける方もかけられる方も、戸惑っていたのではないか。

でも、お芝居としては非常に楽しめて、3 幕で 4 時間近くがあっという間。これは歌舞伎ではない別の演劇だと思えば、かなりおすすめである。人間と戦争を巡る最も古く、最も深い、大叙事詩を題材にした舞台を観るのにもよろしいご時世かと。