百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2019年2月25日月曜日

平穏な生活

人々からの損われることのない安全は、煩いごとを排除しうる何らかの力によっても、或る程度までは得られるけれども、その最も純粋な源泉は、多くの人々から逃れた平穏な生活から生まれる安全である。
『エピクロス —教説と手紙—』(出隆・岩崎允胤訳/岩波文庫)、「主要教説」十四

2019年2月24日日曜日

エルスチールの叡智

「どんなに賢明な人でも」とエルスチールは私に言った、「青春のある時期に、想い出しても不愉快で抹消したくなるようなことばを口にしたり、そんな人生を送ったりしなかった者など、ひとりもありません。しかしそれはひたすら後悔すべきものでもないんです。まずはありとあらゆる滑稽な人、忌まわしい人になったあとでなくては、なんとか曲がりなりにも最終的に賢人になどなれるわけがありません。(……中略……)人間は、他人から叡智を受けとるのではなく、だれひとり代わりにやってもくれず逃れることもできない道程の果てに自分自身で叡智を発見しなければならないのです。……」
 『失われた時を求めて 4』(プルースト/吉川一義訳/岩波文庫)より。(第二篇「花咲く乙女たちのかげに」、第二部「土地の名—土地」)

2019年2月9日土曜日

二月大歌舞伎

急に寒くなった夕方、熱燗を魔法瓶に入れ、「古市庵」で穴子巻と稲荷寿司各種を買って、歌舞伎座へ。「二月大歌舞伎」夜の部。「熊谷陣屋」、「當年祝春駒」、「名月八幡祭」。

「熊谷陣屋」は直実に吉右衛門、相模に魁春、藤の方に雀右衛門、弥陀六に歌六など。何度めだ熊谷陣屋の感もあるが、今回はバランス良くヴェテランを揃え、非常に良い舞台だったのでは。特に魁春、歌六が品良く、かつ重厚で良かった。この二人を見ると、昔の人は確かにこんな座り方をしていた、こんな佇まいだった、と思うことが多い。

「當年祝春駒」は曽我ものの長唄舞踊。曽我五郎と十郎に左近と錦之助、工藤祐経に梅玉など。先月も曽我もので春駒を観たが、今月も年越し(節分)だし、おめでたくて良い。特に若者中心で見ためが綺麗。聞いたところでは、左近はまだ子供ながら、すでに踊りが上手と言われているそうな。踊りがわからない私の目にも、立派に様になっている気がした。

「名月八幡祭」は縮屋新助に松緑、美代吉に玉三郎、三次に仁左衛門、藤岡慶十郎に梅玉など。辰之助三十三回忌追善狂言ということで、松緑を人気俳優が囲む形。だから当然なのだが周りが豪華過ぎて、特に玉三郎と仁左衛門にいちゃいちゃされていては、松緑が目立たない。また、純朴な田舎商人という役柄が松緑にしっくり来ない気もする。そもそも脚本と演出が現代的で、演じるのも観るのも難しい演目になっているせいかも。色々と思うところのあった芝居だが、とりあえず、玉三郎の深川芸者は色っぽくて、悪気はないのだろうがこんな姐さん相手じゃ悲劇もしょうがない……的な雰囲気が良く出ていた。