百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2019年5月23日木曜日

「團菊祭五月大歌舞伎」夜の部

 隠居の身としては贅沢は禁物なのだが、孤独死までの老い先も短かいことだし、たまの散財は冥土の土産として許されよう。いただきものの「紀土」大吟醸を一合ほど水筒に詰め、三越の地下でお弁当を誂えて、歌舞伎座へ。往路では『続 歌舞伎への招待』(戸板康二/岩波現代文庫)の「白拍子花子」の章で予習。さて今月の夜の部は「鶴寿千歳」、「絵本牛若丸」、「京鹿子娘道成寺」、「曽我綉俠御所染」。

「鶴寿千歳」は昭和天皇御即位の大礼を記念して作られた箏曲の舞踊だそうで、歴史的観点から興味深かった。いわゆる萬歳楽。賢帝が即位されると鳳凰が現れるそうだが、この曲では大臣と女御が雄鶴と雌鶴(松緑と時蔵)に姿を変えて萬歳楽を奏でるという趣向。

「絵本牛若丸」は七代目尾上丑之助の初舞台のための演目。寺島家のホームパーティに招かれた感の一幕。他愛もない見物だが、これもまた歌舞伎の一面。

「京鹿子娘道成寺」は白拍子花子を菊之助。踊りがわからない私とは言え、「道成寺」は華やかだし、綺麗だし、変化も多いので、大曲を飽かず観られる。菊之助は華麗かつ上品。難しいことをそつなくさらっとやる感じ。それに、当然かも知れないが、羯鼓を叩く振りが鼓の音にぴったり合っているのに感心した。

「曽我綉俠御所染」は御所五郎蔵を松也、傾城皐月を梅枝、土右衛門を彦三郎など。松也はこういうまっすぐな役が似合うし、梅枝は好きな女方なので、嬉しい組み合わせ。黙阿弥の芝居には、筋なんかどうでもいいから七五調の歌うような台詞を聞く心地良さがある。その面では彦三郎の声が大きく通っていい感じだった。