百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年12月28日木曜日

年の瀬の神保町

今年最後の神保町散歩。黒ビール半パイントを飲みながら一年の一人反省会をしてのち、行き付けの古書店を巡る。

ディック・フランシスの長編を集め始めてからずいぶん長いのだが、最後の最後まで入手できなかった二冊、「追込」と「決着」(菊池光訳/ハヤカワ文庫)の両方ともを、百円均一棚と同店内で見つける。もちろん、こういう一般書、業界用語で言えば「白っぽい本」は、今では amazon でいくつかクリックすれば直ちに入手できるのだが、散歩の途中の古書店で出会うのが楽しいのである。こんな文庫本を見つけただけで、ああ来年は良い年になりそうだなあ……なんて馬鹿なことを思えるのだから。

そのあと、これまた行き付けの珈琲屋で一服して、反省会の続きをしたり、買った本をほくほくしながら眺めたりしてから、帰路につく。

2017年12月27日水曜日

栄光について

そして、このわたしがわが人生に求める栄光のすべてとは、人生を静かに生きたということにほかならない。メトロドロスやアルケシラオスや、アリスティッポスのような生き方ではなくて、自分の流儀によって静かに生きたという栄光だ。というのも、哲学は平安平静に至るための普遍的に有効な道筋を見いだすことはできなかったわけなのだから、各人が、個人的にそれを探さなくてはいけないのである。
「エセー 5」(モンテーニュ著/宮下志郎訳/白水社)、「栄光について」(第 2 巻、第 16 章)より

2017年12月22日金曜日

掛取り

暮れの寄席納め。お茶を水筒に詰めて、スーパーで押し寿司と銅鑼焼を買い、鈴本演芸場へ。

いつもは空いているので安心していたら、既に待ち行列が。今から並んでも立ち見かどうかぎりぎりだと言う話で、普段だったら確実に帰っていたが、今年最後だからと並ぶ。結果、運良く、席をとってもらえた。

今、鈴本は毎日日替わりで主任が「掛取り」を演じるという年末企画中。今日の主任は柳家喬太郎で、借金取りに来た落語好きを「芝浜」で、小演劇好きを「熱海殺人事件」で、寄席好きを落語家の物真似で、特撮好きをウルトラマンセブンの最終回で追い返すというスペクタクルな「掛取り」だった。

立ち見の出る大混雑にやや後悔したものの、個人的には龍玉の「強情灸」と一朝の「片棒」が良かったのと、最近、襲名された立花屋橘之助二代目(元、小円歌)が見られたので、今年を縁起良く納められたかな、と。

いつもより早く 16 時に終了したので、蕎麦屋に寄り道せずに帰宅。

2017年12月11日月曜日

芝居納め

今日の日中だけは温かいらしい。水筒に日本酒を詰め、デパートの地下でお弁当を調達し、歌舞伎座へ。

「十二月大歌舞伎」の第一部を観劇(今月は三部制)。「実盛物語」と「土蜘」。幕の内の残りを肴にお酒を飲みながら観ていたら、いつの間にか気持ち良く、うとうととして半分くらい寝ていたかも。とは言え、今年の芝居納めは土蜘退治で、一年の厄落としになったに違いない。

ちなみに、「土蜘」の「叡山の僧智籌実は土蜘の精」を演じたのは松緑。まあ過不足ない感じか。侍女胡蝶役に梅枝。私は梅枝の顔がけっこう好きだ。

今年もほぼ毎月、歌舞伎座に通ったが、私が観た内での本年度ベストは、十一月「元禄忠臣蔵」より「大石最後の一日」のおみの役の児太郎かな。

2017年12月10日日曜日

ノンシヤラン

穏かな天気の良い週末である。おやつにパンとブルーチーズ。