百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2018年9月15日土曜日

半世紀記念の手拭い

今年で五十歳になる。還暦まで生きられるとも限らないし、半世紀はそれなりに区切りだろうと思い、自分勝手に祝うことにして手拭いを作った。

駱賓王の七言古詩「帝京篇」より「且論三萬六千是 / 寧知四十九年非」の対句(と私の名前)が白地に紺で入っている。

訓読と意味は『唐詩選(上)』(前野直彬注解/岩波文庫)によれば、「且(しば)ラク論ゼン、三萬六千ノ是ナルヲ / 寧(いずく)ンゾ知ラン、四十九年ノ非ナルヲ」、「一生三万六千日、ともかくも自分の行為が正しいということにしておこう。五十になって四十九年の誤りを悟ったことなど、おれは知るものか」。春秋時代の衛の大夫、蘧伯玉が五十歳になったときこれまでの四十九年の人生が誤りだったと悟った、という『淮南子』に見える故事を踏まえた句である。

デザインは知り合いにお願いしたし、染めもプリントなので格安にできたが、熨斗紙を別注にしたのが一手間の贅沢。注文ロットの都合で百本も作ってしまったので、日頃お世話になっている方々や、単にお会いした方にもどんどん押し売り、いや、お配りする予定です。

2018年9月10日月曜日

「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部

三越で弁当などを調達して、歌舞伎座へ。「秀山祭九月大歌舞伎」昼の部。「金閣寺」、「鬼揃紅葉狩」、「河内山」。「金閣寺」は季節外れだが、全体に落ち着いた演目で配役も渋く、それが長月らしい。

「金閣寺」は雪姫に児太郎、大膳に松緑、此下東吉(実は真柴久吉)に梅玉など。私は児太郎の姫役がけっこう好き。「金閣寺」は結局のところ、お姫様が縄で桜の木に縛りつけられ着物の裾を乱して足先で鼠の絵を描く、という場面を成立させるためにお話全部があるようなものなので(偏見?)、好きなタイプの女形が雪姫なら私としてはそれで万事 OK な感じ。ところで、今回の注目は福助の約五年ぶりの舞台復帰。ほんのわずかな時間だが慶寿院尼を演じる場に、大向こうからは次々に声がかかり、観客からも拍手が送られていた。

「紅葉狩」は更科の前(実は戸隠山の鬼女)に幸四郎、平維茂に錦之助など。松羽目に描かれた紅葉に秋を感じる。三演目の二つ目が踊りの構成はいいね。

黙阿弥の「河内山」は河内山宗俊に吉右衛門、松江出雲守に幸四郎など。やはり黙阿弥は台詞がいい。吉右衛門は安心して観られる安定感。ところで、昼の部、幸四郎は出ずっぱりだ(相変わらず幸四郎の名前に慣れないが)。

重陽の節供なので、菊花酒。