百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2019年8月19日月曜日

「八月納涼歌舞伎」第一部

気の抜けたスパークリングワインの残りを水筒に詰め、歌舞伎座へ。八月は三部制の納涼歌舞伎である。第二部の猿之助と幸四郎の「東海道中膝栗毛」は例年通りの大評判で即完売、第三部の玉三郎の「雪之丞変化」も最早良い席がない。第一部は今日がお盆明けの月曜日のせいか辛うじて良い席に空きがあり、天気予報によれば気温も低めなので、思い立って出かけた次第。「伽羅先代萩」と「闇梅百物語」。

「伽羅先代萩」は政岡に七之助。八汐と仁木弾正に幸四郎、栄御前に扇雀など。これまで何度も何度も見ているし、私は子役嫌いなのであまり好きな演目でもないのだが、政岡の役を七之助が初めて勤めるのが見所。

そして七之助の政岡は意外に良かった。政岡は女方最高峰の役とされていて、とにかく難しい上に、重厚さと品格が必要だという。しかし、政岡は小さな子供のいる若い女である。男勝りゆえの直情型の浅はかさ、という側面もあるのではないか、などと七之助の素直な演技から深読みさせられた。あと、沖の井の児太郎がきりっとして良かった。座っている姿が美しい。単に私が児太郎贔屓だからではないと思う。

「闇梅百物語」は読売(実は妖怪)に幸四郎、大内義弘(と狸)に彌十郎など。色々なお化けが踊ったり、お化けに見立てて腰元たちが踊ったりがメインの、筋があるようなないような他愛もない舞踊劇。夏らしいと言えば夏らしいし、先代萩のような重い演目のあとの息抜きに良い組み合わせだったかも。