百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年12月27日水曜日

栄光について

そして、このわたしがわが人生に求める栄光のすべてとは、人生を静かに生きたということにほかならない。メトロドロスやアルケシラオスや、アリスティッポスのような生き方ではなくて、自分の流儀によって静かに生きたという栄光だ。というのも、哲学は平安平静に至るための普遍的に有効な道筋を見いだすことはできなかったわけなのだから、各人が、個人的にそれを探さなくてはいけないのである。
「エセー 5」(モンテーニュ著/宮下志郎訳/白水社)、「栄光について」(第 2 巻、第 16 章)より