百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2020年1月6日月曜日

「壽 初春大歌舞伎」夜の部

天気も良いことだし、年末年始の贅沢を締め括って初芝居と行こう。自作のマカロニサラダと白ワインを持参して歌舞伎座へ。五斗三番叟、連獅子、三島由紀夫の「鰯賣戀曳網」という新春に相応しくおめでたい尽しの夜の部。

「義経腰越状」は五斗兵衛盛次に白鸚。義経がらみのストーリィがあるとは言え要は、五斗兵衛が大酒を飲んでハチャメチャな三番叟を舞い踊るという、それだけの一幕。歌舞伎らしくめでたい。弾むような三味線の音が良かった。

続いて「連獅子」。歌舞伎舞踊と言えば連獅子の毛振り。戸板康二の『歌舞伎への招待』(岩波現代文庫)によれば、これを「狂う」と言うのだそうで、獅子の野獣的な動きを形容する動詞だとか。親獅子の猿之助と仔獅子の團子は息がぴったり。特に團子は振りが大きくてキレが良く、踊りのわからない私にも恰好良く見えた。

「鰯賣戀曳網」は鰯売りの猿源氏に勘九郎、傾城蛍火に七之助。三島由紀夫のダークサイドが隠されて、明るさとユーモアだけが花開いた、屈託のない大らかな作品。まさに喜劇はかくありたい。つまり、日本人がまだ愚かさという徳を持っていた頃を偲ばせるものでありたい。三島由紀夫の天才的な美意識の高さ、手先の器用さ、古典理解の深さがあってこそ可能だったわけだが、今の小賢しいだけの我々にはもう不可能なのかもしれない。若々しく姿の良い勘九郎と七之助がこの演目向き。お正月らしい良い舞台だった。