百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2018年12月7日金曜日

登場人物の時間

「あれはもう子供じゃない、好みはもはや変わらないだろう」と言った父のことばで、突然、私は自分が「時間」のなかにいることに気づき、悲しみを感じた。私は、耄碌して養老院に入居したわけではないが、本の最後で作者からとりわけ冷酷さの際立つ無関心な口調で「男はますます田舎を離れなくなり、とうとうそこに住み着いてしまった」などと書かれる人物になったような悲哀を感じたのである。
 『失われた時を求めて 3』(プルースト/吉川一義訳/岩波文庫)より。(第二篇「花咲く乙女たちのかげに」、第一部「スワン夫人をめぐって」)