百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2018年5月10日木曜日

團菊祭五月大歌舞伎:七十五歳の弁天小僧

新聞をすみずみまで読むのにも飽きたので、枝豆と缶ビールを持参し、三越の地下でお弁当を調達してから、歌舞伎座の夜の部へ。夕方からは晴れて、少しひんやりとする爽やかな日和。

今月は昼の部の、海老蔵が五役勤める「鳴神(雷神不動北山櫻)」が大人気のようだが、私はあえて夜の部で。「弁天娘女男白浪」、「鬼一法眼三略巻」、「喜撰」。

目当ては「弁天娘女男白浪」。やはり春には黙阿弥の五七調の台詞を聞くのが気分がよろしい。弁天小僧を菊五郎で。菊五郎は七十五歳だそうだが、それが十六七の「男の娘(おとこのこ)」の役をするわけだから、歌舞伎とは大したものだ。見ための綺麗さだけを言えば無理なところもある。しかし、お約束の名台詞の切れの良さは菊五郎ならではだし、左團次演じる南郷力丸とのかけあいなどは抜群の安定感。

「鬼一法眼三略巻」は智恵内実は鬼三太に松緑、虎蔵実は牛若丸に時蔵、皆鶴姫に児太郎など。小さくまとまった感はあるものの、安心して観ていられた。ちなみに私は児太郎のお姫様役が好きだ。

「喜撰」は喜撰法師に菊之助、お梶に時蔵など。舞踊はよくわからないなあ、といつも思っているのだが、菊之助は動きが軽妙で、型がぴたりぴたりと決まっていたし、時蔵の女形も好きなので、なかなか楽しかった。私が舞踊がわかってきたのか、特に舞台の出来が良かったのか、あるいは勘違いなのかは謎。