百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2018年3月17日土曜日

水時計

われわれは毎日死んでいるということです。つまり毎日毎日生命の一部分は取り去られているのです。われわれが成長しているときでさえも、生命は減少しています。われわれはまず幼児期を、次に少年期を、次には青年期を失っているのです。昨日に至るまで、経過した時はいずれもみな消滅しました。いや、現にわれわれが過ごしている今日でさえも、われわれはそれを死と分け合っています。水時計の水を空にするのは最後の一滴ではなく、その前に流れ出たすべてです。
「セネカ 道徳書簡集」(茂手木元蔵訳/東海大学出版会)、第二十四より