われわれは毎日死んでいるということです。つまり毎日毎日生命の一部分は取り去られているのです。われわれが成長しているときでさえも、生命は減少しています。われわれはまず幼児期を、次に少年期を、次には青年期を失っているのです。昨日に至るまで、経過した時はいずれもみな消滅しました。いや、現にわれわれが過ごしている今日でさえも、われわれはそれを死と分け合っています。水時計の水を空にするのは最後の一滴ではなく、その前に流れ出たすべてです。