百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2018年8月6日月曜日

愚かさと情熱

どこの国でも一番数が多いのは愚か者である。もし彼がドイツに住んでいたら、愚かにも情熱をこめて不正な立場を擁護するドイツの愚か者たちにすっかりいらいらしたことは、疑いの余地がない。けれどもフランスに住んでいたので、愚かにも情熱をこめて正しい立場を擁護するフランスの愚か者たちが、やはり彼をいらだたせた。情熱の論理は、たとえ最も正当な権利に奉仕する場合でも、情熱にかられない人にとってはけっして反駁できないものではない。シャルリュス氏は愛国者たちの誤まった理屈を、一つひとつ巧妙に指摘した。正当な権利にすっかり満足している間抜けな者や、成功を確信している者は、とくに人をいらいらさせる。
「失われた時を求めて」(M. プルースト著/鈴木道彦訳/集英社文庫)、第 12 巻(第七篇「見出された時」)より