百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2019年4月19日金曜日

作品番号1「ミルクチョコレート」

橋本治が亡くなったのをきっかけに、『男の編み物 橋本治の手トリ足トリ』(河出書房新社)を引っ張り出し、追悼の意味でセーターを編んでみた。丁度、一ヶ月で完成。昔一度この本で編み始めて途中で挫折したのだが、今回、生まれて初めてセーターを最後まで編み上げた。

初めて作るセーターは「極めて前衛的」になりがちなので地味な色を選ぶように、との同書のアドバイスを受け、焦げ茶色とベージュで「ミルクチョコレート」をイメージして編んでみた。あちこち目が抜けていたり、からんでいたりするし、手でこねくりまわしているので出来た時点で既にヨレヨレになっていたり。
















しかし、一通りの工程を最後まで編んだことで「理屈はわかった」感。「着てみて、満足するなり首をひねるなりを、思う存分にやってみてください。良きにつけ、悪しきにつけ、それこそが、あなたの編んだセーターなのです」(同書より)。

編み物の「理屈」の他にも、どこは手を抜いていいか、どこはきっちりやらなくていけないかの勘所も少しわかった。どうせ初めてだしと思って、型紙は定規すら使わず随分いいかげんに作ったのだが、出来上がりは自分のサイズにぴったり。編み込みなどのデザインがなければ、これで十分かも。

一方で、「はぎあわせ」や「とじつけ」は 10 目程度ずつの狭い間隔で目印の仮縫いをしておかないと、仕上りが無惨やな、になる。この「はぎあわせ」など、編んだものをくっつける工程は技術的にも難易度が高いし、仕上りの美しさを左右する。

あとは、やはり編みもののほぼ全体を占めるメリヤス編みの目の綺麗さ。これは、力を抜いてすいすい編むことで、ようやく目が揃ってくるので、慣れと訓練あるのみ。一着縫い終わる頃になって、ようやく力が抜けてきたかな、という感じ。

一着編んでみると、編み物はなかなか楽しい。色んな工程があるし、日々少しずつ出来上がっていくのもいいし、完成すると充実感がある。楽に編めるようになってきたことだし、次はデザインの楽しさも追加して編み込みに挑戦してみようと思っている。