百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2019年4月13日土曜日

「四月大歌舞伎」夜の部

月に一度の贅沢をしに歌舞伎座へ。三越の地下で四月らしいお弁当を買って行く。「四月大歌舞伎」夜の部。「実盛物語」、「黒塚」、「二人夕霧」。

布引こと「源平布引滝 実盛物語」は仁左衛門の実盛。丁度行きの車中、『続 歌舞伎への招待』(戸板康二/岩波書店)で五代目菊五郎が初役の羽左衛門(当時、家橘)の実盛を評した芸談を読んだところだったので、興味深く観た。五代目によれば、葵御前に「泳ぎ参るとおぼしめせ」と世話にくだけて言うところは、三津五郎が始めた型だとか。それはさておき、仁左衛門は時代ものでも笑いを誘うような場面では世話風と言うか、ちょっと和事っぽい雰囲気が出るのが悪くない。


「黒塚」は老女岩手実は安達原の鬼女に猿之助。私は踊りはよくわからないのだが、舞踊劇だとまだ物語性もあるので、それなりに楽しく観られる。岩手が一人で踊る二場めが美しく、現代的な演出が効いていて良かった。

「二人夕霧」は伊左衛門に鴈治郎、後の夕霧に孝太郎、先の夕霧に魁春など。「吉田屋」の後日談、という恰好になっているパロディ舞踊劇。面白おかしくも馬鹿馬鹿しいお話だが、基本的に踊りであるところが味噌で、おかげでだれるような気もするが、そこが上品な気も。しかし、兎に角おめでたい感じがいい。鴈治郎だからいいのかも。ところで、後の夕霧が相変わらず笄を一杯差した傾城風の恰好のまま、蛸をぶら下げて腰をふりふり花道を帰ってくるところがキッチュで、歌舞伎の美を感じた(笑)。