百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年9月3日日曜日

大皿と小皿

また、会期終了ぎりぎりにならないと行かないの法則で、根津美術館の「やきもの勉強会 食を彩った大皿と小皿」をようやく観に行ってきた。根津美術館は久しぶり。

確かに小皿って「銘々」の皿だから、大昔から食事の場にあったわけじゃないんだなあ、と当たり前のことを思う。私は大皿料理を「パーティ系」、小皿や小鉢の料理を「愛人系」と勝手に(たぶん桃井かおりさんにならって)呼んでいるのだが、小皿料理は愛人系の人の要請で誕生したのではないか。いや、真面目にそう思ってます。

ところで、私の実家で小皿一般のことを「おてしょう」と呼んでいるのを方言だと思っていたのだが、展示の説明の中に「手塩(皿)」という言葉が沢山あって、標準的な言葉だったのだな、と今さら知った。