百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2019年6月24日月曜日

仮想の生活

われわれは、自分のなか、自分自身の存在のうちでわれわれが持っている生活では満足しない。われわれは、他人の観念のなかで仮想の生活をしようとし、そのために外見を整えることに努力する。われわれは絶えず、われわれのこの仮想の存在を美化し、保存することのために働き、ほんとうの存在のほうをおろそかにする。そして、もしわれわれに、落ち着きや、雅量や、忠実さがあれば、それをわれわれの別の存在に結びつけるために、急いでそれを知らせる。それを別のほうに加えるために、われわれから離すことだってしかねないのである。勇敢であるとの評判をとるためには、進んで臆病者にだってなるだろう。
パスカル『パンセ』(前田陽一・由木康訳/中公文庫)、第二章「神なき人間の惨めさ」、一四七より