百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年4月28日金曜日

一子相伝

隠居だってプレミアムなフライデイなるものをしてみんとす。神保町でランチを楽しんでから(昼間に飲むビールはうまい)、竹橋まで散歩。今日は暑いと言うほどでもなく、丁度良い陽気の散歩日和だ。

東京国立近代美術館で開催中の展覧会「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」を観る。初代長次郎から現代まで代々の作品が順に並べられているので、その発展が興味深い。しかし、正直に言って、私には当代の茶碗の良さが全く分からなかった。先代までは理解できないながらも何となくすごい、ただものではない、という感じが伝わってくるのだが。もちろん私の目が低いせいだろう。

ついでに所蔵作品展なども一通り観たら、午後一杯楽しんでしまった。MOMAT もやはりなかなかいいものを持っている。夕方帰宅。