百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年6月14日水曜日

明烏の甘納豆

この前、「八五郎出世」で泣かせてもらった、さん喬師匠がまた上がってるな、と思い、鈴本演芸場に行く。今日の噺は「そば清」。落語らしい馬鹿馬鹿しさがよい。主任は春風亭一之輔で「明烏」。名人上手という感じではないが、笑わせるのが巧い。どこまで御本人のアレンジか分からないが、そこが面白かった。

それはさておき、「明烏」は下げに近い部分に出てくる甘納豆のエピソードが何故か妙に可笑しい。お固くてうぶな若旦那を吉原に連れ込んだ二人の悪が、一夜明けて若旦那を起こしに行く途中、一人が甘納豆を見つけて食べる。どう考えてもこの部分は不用なのだが、型としてずっと演じられているらしいことからして、やはり不可欠のスパイスなのだろう。

終わったあとは、「そば清」に因んで近所の蕎麦屋へ。まだ早い時間なので、客は誰もいない。冷やを一合たのんで、天せいろ。