百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2017年7月6日木曜日

金明竹

今朝、最近の懸案事項の一つを前進させることができたので、開放的な気分になり、と言っても私のような隠居に華やかな遊び方などないので、近所のインド料理屋で昼食をとってから、また鈴本演芸場に行く。

二ツ目の方の「金明竹」を聴きながら、ふと、横溝正史「獄門島」の「きちがいじゃがしかたがない」はこの噺からアイデアを得たのではないか、と思う。「金明竹」は「寿限無」同様に暗唱と滑舌の訓練のためよく演じられるらしいので、都筑道夫のような演芸通でなくても、横溝も一般教養として知っていた可能性は高い。

他の演目は「宗論」、「壺算」、「紙入れ」、「船徳」など。「宗論」は歌舞伎の「連獅子」同様に宗教論争の話なので、不謹慎なところが面白い。「紙入れ」は同じ噺家で二度目。得意の演目らしい。「船徳」は今日のトリ。夏らしくてよろしい。

そして今日は、私は初めて生で聴いたのだが、講談の演目があった。「四谷怪談」の前日談で、お岩誕生の因縁話。これまた夏らしい。