百歳にもなると、人間は愛や友情に頼らずにすむ。さまざまな災厄や不本意な死に怯えることもない。芸術や、哲学や、数学のいずれかに精進したり、独りでチェスの勝負を楽しんだりする。その気になったら自殺する。人間が己れの生のあるじならば、死についても同じである。
「疲れた男のユートピア」(J.L.ボルヘス著/鼓直訳)より

2019年6月27日木曜日

思い上がりとむなしさ

われわれは、全地から、そしてわれわれがいなくなってから後に来るであろう人たちからさえ知られたいと願うほど思い上がった者であり、またわれわれをとりまく五、六人からの尊敬で喜ばせられ、満足させられるほどむなしいものである。
パスカル『パンセ』(前田陽一・由木康訳/中公文庫)、第二章「神なき人間の惨めさ」、一四八

2019年6月24日月曜日

仮想の生活

われわれは、自分のなか、自分自身の存在のうちでわれわれが持っている生活では満足しない。われわれは、他人の観念のなかで仮想の生活をしようとし、そのために外見を整えることに努力する。われわれは絶えず、われわれのこの仮想の存在を美化し、保存することのために働き、ほんとうの存在のほうをおろそかにする。そして、もしわれわれに、落ち着きや、雅量や、忠実さがあれば、それをわれわれの別の存在に結びつけるために、急いでそれを知らせる。それを別のほうに加えるために、われわれから離すことだってしかねないのである。勇敢であるとの評判をとるためには、進んで臆病者にだってなるだろう。
パスカル『パンセ』(前田陽一・由木康訳/中公文庫)、第二章「神なき人間の惨めさ」、一四七より

2019年6月20日木曜日

作品番号2「モンドリアン・ブギウギ」

第 2 作目は編み込みに挑戦してみた。デザインはモンドリアンの「ブロードウェイ・ブギウギ」(1943)を胸に編み込みで再現したもの。背中側にもコンポジション作品を入れようかとも思ったが、うるさい感じになりそうなので、デザイン案の段階で却下。制作期間は丁度二ヶ月。毛糸は並太アクリルで、6 色使用。

もとの「ブロードウェイ・ブギウギ」はほとんど縦横が等間隔の直線で描かれているように見えてあちこち微妙にずれている。そこで、絵のコピー画像の上に縦横に線を引いて色の場所を微調整してから、編み込みのデザイン画に起こした。

縦横に平行な線しかないので初めての編み込みに丁度良いかと思ったのだが、数目毎や時には一目毎に毛糸を変えるような箇所が非常に多くて難しい。結果、どう考えても素人向きではないデザインだとすぐに悟ったが、編み始めてしまった以上、最後まで一応はやり遂げた。

そのおかげかどうか、並太の毛糸で編める程度の編み込みなら大抵のものはできそう、という自信を得た。おそらく次回は、この半分くらいの細い毛糸で、もっと繊細なデザインに挑戦したい。絵柄としては和風がいいかな。

2019年6月13日木曜日

「六月大歌舞伎」昼の部

月に一度の贅沢三昧。冷酒を一合だけ水筒に詰め、三越の地下でクレソンとひじきのサラダと今半のすきやき弁当を買って、歌舞伎座へ。「六月大歌舞伎」の昼の部。今月の夜の部は「三谷かぶき」が大評判で大入り満員、ほとんどの日は早々に全席完売し、毎夜カーテンコールの嵐と聞く。おかげで昼の部は比較的空いているよう。

「寿式三番叟」の三番叟を幸四郎と松也で。二人とも若々しく、そろった振りに切れがあり、なかなか見応えがあった。

「女車引」は松王丸、梅王丸、桜丸それぞれの妻を魁春、雀右衛門、児太郎で。車引の様子や賀の祝いの料理の支度の様子を振りで見せる踊り。多分、初めて観る演目のはず。三人とも上手だし、なかなか趣きがあって良かった。単に私が児太郎贔屓だからではないと思う。最近、おどりがわかってきたわけではないが、「ふーん」という感じでわりと面白く観られる。慣れてきただけだろうか。

「梶原平三誉石切」は梶原平三景時を吉右衛門、六郎太夫を歌六、梢を米吉など。安定感のある配役で、吉右衛門も貫禄。

「恋飛脚大和往来」は忠兵衛に仁左衛門、傾城梅川に孝太郎、八右衛門に愛之助など。御存知、「封印切り」である。やはり若旦那をやらせると仁左衛門は無敵。少し頼りなく、アホなところもあるが、何とも言えぬ品と愛嬌があって、おっとりとした「ええしの不良ぼん」感は最強。舞台ではせいぜい四十くらいにしか見えないが実際は相当のお歳なので、長く観られるものではないはず。仁左衛門とともに「関西の若旦那」は虚実ともに絶滅するのではないかとさえ思う。

仁左衛門の他には、脇役だがおえんを演じた秀太郎が良かった。この人のおかみ役も無敵だと思う。前世でお茶屋をやっていたのではないか。愛之助も嫌味な役を頑張ってこなしていたし、総合的にも今月の「封印切り」は非常に良かったと思う。余裕があればもう一回観たいくらい。

2019年5月23日木曜日

「團菊祭五月大歌舞伎」夜の部

 隠居の身としては贅沢は禁物なのだが、孤独死までの老い先も短かいことだし、たまの散財は冥土の土産として許されよう。いただきものの「紀土」大吟醸を一合ほど水筒に詰め、三越の地下でお弁当を誂えて、歌舞伎座へ。往路では『続 歌舞伎への招待』(戸板康二/岩波現代文庫)の「白拍子花子」の章で予習。さて今月の夜の部は「鶴寿千歳」、「絵本牛若丸」、「京鹿子娘道成寺」、「曽我綉俠御所染」。

「鶴寿千歳」は昭和天皇御即位の大礼を記念して作られた箏曲の舞踊だそうで、歴史的観点から興味深かった。いわゆる萬歳楽。賢帝が即位されると鳳凰が現れるそうだが、この曲では大臣と女御が雄鶴と雌鶴(松緑と時蔵)に姿を変えて萬歳楽を奏でるという趣向。

「絵本牛若丸」は七代目尾上丑之助の初舞台のための演目。寺島家のホームパーティに招かれた感の一幕。他愛もない見物だが、これもまた歌舞伎の一面。

「京鹿子娘道成寺」は白拍子花子を菊之助。踊りがわからない私とは言え、「道成寺」は華やかだし、綺麗だし、変化も多いので、大曲を飽かず観られる。菊之助は華麗かつ上品。難しいことをそつなくさらっとやる感じ。それに、当然かも知れないが、羯鼓を叩く振りが鼓の音にぴったり合っているのに感心した。

「曽我綉俠御所染」は御所五郎蔵を松也、傾城皐月を梅枝、土右衛門を彦三郎など。松也はこういうまっすぐな役が似合うし、梅枝は好きな女方なので、嬉しい組み合わせ。黙阿弥の芝居には、筋なんかどうでもいいから七五調の歌うような台詞を聞く心地良さがある。その面では彦三郎の声が大きく通っていい感じだった。


2019年4月19日金曜日

作品番号1「ミルクチョコレート」

橋本治が亡くなったのをきっかけに、『男の編み物 橋本治の手トリ足トリ』(河出書房新社)を引っ張り出し、追悼の意味でセーターを編んでみた。丁度、一ヶ月で完成。昔一度この本で編み始めて途中で挫折したのだが、今回、生まれて初めてセーターを最後まで編み上げた。

初めて作るセーターは「極めて前衛的」になりがちなので地味な色を選ぶように、との同書のアドバイスを受け、焦げ茶色とベージュで「ミルクチョコレート」をイメージして編んでみた。あちこち目が抜けていたり、からんでいたりするし、手でこねくりまわしているので出来た時点で既にヨレヨレになっていたり。
















しかし、一通りの工程を最後まで編んだことで「理屈はわかった」感。「着てみて、満足するなり首をひねるなりを、思う存分にやってみてください。良きにつけ、悪しきにつけ、それこそが、あなたの編んだセーターなのです」(同書より)。

編み物の「理屈」の他にも、どこは手を抜いていいか、どこはきっちりやらなくていけないかの勘所も少しわかった。どうせ初めてだしと思って、型紙は定規すら使わず随分いいかげんに作ったのだが、出来上がりは自分のサイズにぴったり。編み込みなどのデザインがなければ、これで十分かも。

一方で、「はぎあわせ」や「とじつけ」は 10 目程度ずつの狭い間隔で目印の仮縫いをしておかないと、仕上りが無惨やな、になる。この「はぎあわせ」など、編んだものをくっつける工程は技術的にも難易度が高いし、仕上りの美しさを左右する。

あとは、やはり編みもののほぼ全体を占めるメリヤス編みの目の綺麗さ。これは、力を抜いてすいすい編むことで、ようやく目が揃ってくるので、慣れと訓練あるのみ。一着縫い終わる頃になって、ようやく力が抜けてきたかな、という感じ。

一着編んでみると、編み物はなかなか楽しい。色んな工程があるし、日々少しずつ出来上がっていくのもいいし、完成すると充実感がある。楽に編めるようになってきたことだし、次はデザインの楽しさも追加して編み込みに挑戦してみようと思っている。

2019年4月13日土曜日

「四月大歌舞伎」夜の部

月に一度の贅沢をしに歌舞伎座へ。三越の地下で四月らしいお弁当を買って行く。「四月大歌舞伎」夜の部。「実盛物語」、「黒塚」、「二人夕霧」。

布引こと「源平布引滝 実盛物語」は仁左衛門の実盛。丁度行きの車中、『続 歌舞伎への招待』(戸板康二/岩波書店)で五代目菊五郎が初役の羽左衛門(当時、家橘)の実盛を評した芸談を読んだところだったので、興味深く観た。五代目によれば、葵御前に「泳ぎ参るとおぼしめせ」と世話にくだけて言うところは、三津五郎が始めた型だとか。それはさておき、仁左衛門は時代ものでも笑いを誘うような場面では世話風と言うか、ちょっと和事っぽい雰囲気が出るのが悪くない。


「黒塚」は老女岩手実は安達原の鬼女に猿之助。私は踊りはよくわからないのだが、舞踊劇だとまだ物語性もあるので、それなりに楽しく観られる。岩手が一人で踊る二場めが美しく、現代的な演出が効いていて良かった。

「二人夕霧」は伊左衛門に鴈治郎、後の夕霧に孝太郎、先の夕霧に魁春など。「吉田屋」の後日談、という恰好になっているパロディ舞踊劇。面白おかしくも馬鹿馬鹿しいお話だが、基本的に踊りであるところが味噌で、おかげでだれるような気もするが、そこが上品な気も。しかし、兎に角おめでたい感じがいい。鴈治郎だからいいのかも。ところで、後の夕霧が相変わらず笄を一杯差した傾城風の恰好のまま、蛸をぶら下げて腰をふりふり花道を帰ってくるところがキッチュで、歌舞伎の美を感じた(笑)。